「うつ病歴20年目」のオジサンの闘病日誌です!「うつ病」かなって思ったら…!「うつ病」になっちゃったら…!「うつオジサンの闘病日誌」を読んでみてください!何かのヒントになるかもよ!

2.思考を変える

宇宙

2-1 思考を変える

心は折れるもの

人は誰でも弱い心を持っています。
それはときに折れてしまうことだってあります。

もしも、“心が折れたことがない人” は、心がとても強い人なのかも知れませんね。
しかし、このような人たちは、得てして「うつ病」の人を作り出す、「うつ病」の人を傷つける、あちら側の人たちが多いと、私は思っています。
これはあくまでも、私の経験からの思いです。

そして、そのような人は「うつ病」を「ずる休み」だとか「休むための言い訳」だとか考えられる人たちです。
なので、そのような人たちは「うつ病」になることはありませんし、「うつ病」を理解することができません。

そのような人たちからは距離を置きましょう。
近づいてきたら逃げましょう。(気持ちだけでもいいのです…。)

人は誰だって弱いのです。そして、ときには心が折れちゃったりするのです。
「うつ病」になったってことは、あなたは人間らしい人です。
決してあちら側の人たちではないってことですよ。

そのままのあなたでいいのです。

初心に戻る

「うつ病」で学校や仕事を休んでしまったら、“初心”に戻ってみませんか?
「うつ病」になってしまった原因や憎い人だっているかも知れません。
それらを考えていても、「うつ病」になった自分を変えることはできません。

なので、“初心”に戻って、新しくスタートすればいいのではないでしょうか?

「うつ病」になる人には、悪い人はいないと思います。
なので、今のままのあなたでいいのです。
気持ちだけ“初心”に戻してあげて、新しくスタートすればいいのです。


真面目ということ

「うつ病」になる要因の一つに、“真面目”ということがあります。
“真面目”は、あなたの美徳の一つかも知れませんしね。

“真面目”過ぎると、色々と考え過ぎてしまうことがあります。
“真面目”ということは、決して悪いことではないと思いますが、何にしても「…過ぎる」と良くないことが多いみたいですよ。

“真面目”なままでもいいので、少しだけ“ちゃらんぽらん”なところがあってもいいのでは…。
これは、私が会社に復帰するときに、産業医から言われたことです。
ただし、“ちゃらんぽらん”過ぎてはだめですよ!

何でも「…過ぎる」のはいけませんよね!


罪の意識を持たない

「うつ病」になって学校や仕事を休んでしまうと、少なからず“罪の意識”を持ってしまいますよね。
でも、“罪の意識”を持つ必要など一つもないのです。

「うつ病」は、そもそも病気ですし、自分から進んでなったわけでもありません。
誰だって「うつ病」になんてなりたくないですもんね。
なので、決して“罪の意識”を持たないでくださいね。

“罪の意識”を持ち続けていると、その先にあるのは“再発”だけですよ。

私の経験から、これらのことを挙げてみました。

少しでもあなたの「思考を変える」ことに繋がれば幸いです。

禅

2-2 焦らない

焦るなと言われても…。

「うつ病」なってしまって、学校や仕事を休んでしまっても、焦る必要はまったくないと思います。
焦ることは、決して「うつ病」の回復に繋がりません。

また、学校や仕事に戻るときにも、焦ってはいけませんよ。
学校や仕事に戻ると、どうしても「取り返してやる」的な思考になってしまいます。

お医者さんからは、「スロースタート」をしてくださいって言われているはずです。
…にも関わらず、学校や仕事に戻れたうれしさもあって、どうしても焦ってしまいますよね。
「焦るなと言われても…」、焦るものは焦ります。仕方がありません。

自分が焦っていることに気がついたら、必ずスローに戻しましょう。
スローに戻すことができたら大丈夫!

焦り続けたら、その先にあるのは“再発”ですよ。

勝つことと負けること

焦ることっては、「勝ち」と「負け」を意識しているからですよね。無意識の意識かも知れませんが…。
勝つことと負けることを意識し出すと切りがありませんよ。

「うつ病」になってしまったからと言って、何も負けるわけではありません。
人生は長い長い登り道です。人生に勝ち負けなんてないんですよ。

ときには、つまずくことだってあるさ!
そんな風に思えたら、きっと順調に歩いて行けると思います。

焦ってみたって始まらぬ、人生のんびり生きてやる

思考を変えると言っても、染みついた思考回路を変えるのは難しいことですよね。

そこで、私から長渕剛さんの歌詞を贈ります。

長いのぼり坂

長い長いのぼり坂 走ってみても同じこと
上り坂は人生さ くだり坂は落ちるだけ
分かれ道は運命さ どの道行こうと俺たちの
行きつく所へまっしぐら 誰の口出しも無用です

 焦ってみても始まらぬ 人生のんびり生きてやる
 後にさがれぬ道ならば 大地を踏みしめ歩きましょう

道草ならば冬が良い 浮かれた頭を冷やすのさ
恋にやつれたら秋が良い 落ち葉拾って物思い
夏になったら悩み捨てて 口笛ふいてみてもいい
何も飾らず期待せず 横目で春を見送ろう

 焦ってみても始まらぬ 人生のんびり生きてやる
 後にさがれぬ道ならば 大地を踏みしめ歩きましょう

 大地を踏みしめ歩きましょう

作詞 長渕剛

(YouTube で検索して聴いてみてくださいね。)

背景

2-3 怒らない

怒りは無駄なこと

怒ることは、たまにはいいのかも知れません。それでストレス発散ができるのなら…。
しかし、むやみやたらに怒ることばかりしていたら、“心”は疲れてしまいます。
そのような人には、他の人も近づいてこないでしょう。

怒ることは、最小限にしてみませんか?

私自身が思うには、怒ることは必要ないと思っています。
それは、私は本気で怒ったことがないことが関係しているかも知れません。
なので、怒ることは必要がないと思ってしまうのでしょう。

ストレス発散ができる程度の“怒り”で抑えておくことが大切ですね。

「怒りを予防したり制御する=アンガーマネージメント」について、下に書いてみました。
是非ご覧ください。


やさしい人になろう

この考え方については人それぞれかも知れません。
しかし、私にとって「やさしい人」になることが生きるテーマの一つです。

「やさしい人」になることは、損をすることも多いですよね。
また「うつ病」になる人には、やさしい人が多いと思っています。

私は、恥ずかしながら「やさしい人」とよく言われていました。
しかし、実際の私は、やさしい人ではなくて、偽物の「やさしい人」です。
なので、本物の「やさしい人」になりたいと思うのでしょうね。

いつも怒ってばかりいる人よりも、やさしい人になりたいと思いませんか?

やさしいお爺ちゃん、お婆ちゃん、って良いと思いませんか?

ここで “ but ” がつきます。
ただやさしいだけではいけませんよね。
やさしいだけならば、ただのバカになってしまいます。

この世の中には悪い人も少なからずいます。
自分の身は自分で守らなければなりません。
自分が正しいと思うことは、「理路整然」と反論することも必要でしょう。

私が言う「やさしい人」とは、人としての本性とか性根とか、根っ子の部分が「やさしい人」であることです。
そういう人でありたいと思っていると言うことです。

そのような人でなければ、やさしいお爺ちゃん、お婆ちゃんにはなれないのではないでしょうか?


人を嫌わない

「人を嫌うと、自分に回って来る」と聞いたことはありませんか?
そのことの真偽は別にして、人を嫌うことは決していいことではありませんよね。

人を嫌うことは、やがて怒りに変わります。怒りを溜め込んでしまうと、どこかで爆発してしまいます。
なので、人を嫌うことも最小限にした方がいいですよね。
できれば、嫌いな人はいない方がいいのでしょう。
しかし、生きていれば、なかなかそうもいきません。

自分を「うつ病」にした人だと思って、その人を嫌う。
「うつ病」の自分に嫌なことを言われた、その人を嫌う。
何も言い返せない私を不満のはけ口にしている、その人を嫌う。
自慢ばかりしている、その人を嫌う。

嫌う理由はたくさんありますね。
でも、人を嫌うことも最小限にした方がいいですよね。
自分自身の“心”のために…!


腹を立てない

腹を立てることも人を嫌うことと同じように、“心”のためには良くありません。

腹を立てる理由も人を嫌う理由と同様にたくさんあります。
腹を立てる対象は、人とは限りませんしね…。
「新型コロナ」にだって、「政治」にだって腹を立てることがあるでしょう。

腹を立てたって、問題の解決になりはしません。
腹を立てた分だけ、自分が損をします。

腹を立てず、心穏やかに過ごせればいいのですが、これを邪魔する人たちもいますよね。
このような人たちに対しては、冷静に対処することが必要でしょう。
また、「理路整然」とした話ができればいいと思います。
この場合、上からの物言いは決して良い結果に繋がらないこともあるでしょう。
挑発に乗らないことも大切ですね。

まずは、腹を立てないことを心がけましょう。
私の自省を込めて…!

夢
(ijmakiによるPixabayからの画像)

アンガーマネージメント

「アンガーマネージメント(anger management)」とは、「怒りを予防し制御するための心理療法プログラム」のことです。

私は「うつ病」になってから、自然と「自分は最底の人間なんだ。多くの人に迷惑を掛けた。だから怒る資格はないのだ。」と思うようになっていました。こう思っていると、次第に怒れなくなるものです。
これはこれで、「アンガーマネージメント」されてるってことでしょうか?

いや、これは、本来の「アンガーマネージメント」ではないのでしょうね。
「自分を最低の人間」と思い込むこと自体が、通常の思考とはかけ離れているのですから。

「アンガーマネージメント」という言葉は、確か新型コロナウィルス関連の雑誌の記事だったと思います。
記憶によると、新型コロナウィルスの影響で自粛要請をされ、怒りや恐怖の矛先が、ときに違った方向へと行ってしまうといった記事だったと思います。

さて、新型コロナに感染した人には、一人ずつ、それぞれの思いや感情があります。
そして、その人の周囲にも人がいます。もちろん、周囲の人にだって思いや感情があります。

また、感染した人、感染させられた人、感染させるかも知れない人、感染させられるかも知れない人がいます。
感染させられた人には、もちろん「怒り」はあるでしょうが、感染させてしまうかも知れないという「怖さ」も同時に持っています。

この中で一番危険なのは、「感染させられるかも知れない人」ではないでしょうか?
この人たちには、アンガーマネージメントなどに考えが及びません。
この人たちは、「怖さ」を「怒り」に変えて攻撃してくるからです。

それも見当違いの対象に対して、あからさまな方法で攻撃してきます。
それを悪いこととはまったく思ってもいないでしょう。

私は「うつ病」を繰り返していくうちに、様々な人から罵声を浴びせかけるようになりました。
「仕事をサボっている。」「給料泥棒」的な罵声です。これまでもそのように書いてきました。

例えどのような罵声を浴びせられたとしても、私は一言だって言い返せませんでした。
「すみません。」と謝ることしかできませんでした。
そうすると、嫌でも「自分を最低の人間」なんだと思ってしまうようになるのですね。

そこで、私は、身を守る方法はないものかと色々な本を読んで学びました。

最初は「ストレスを溜めない」的なハウツウ本からはじめて、最終的に行き着いたのが「禅」の本でした。
「禅」に傾倒しているわけではありませんが、「禅」の言葉に触れることで、「最低の人間」である自分が救われてきたように思います。
これは、きっと「アンガーマネージメント」の類のものなのだろうと思います。

禅

景色