「うつ病歴20年目」のオジサンの闘病日誌です!「うつ病」かなって思ったら…!「うつ病」になっちゃったら…!「うつオジサンの闘病日誌」を読んでみてください!何かのヒントになるかもよ!

『歎異抄をひらく』をひらく…!

  • 2020年7月12日
  • 2021年7月11日
  • 読書

うつオジサンは、ずっと前に買ってそのままにしていた『歎異抄をひらく』という本をひらいてみました。
 
昨年の初夏でしょうか、この『歎異抄をひらく』がアニメーション映画化されて、俳優の石坂浩二さんが、親鸞聖人の声の役をしているとテレビのCMで盛んに流れていましたね。

さてさて、中には何が書いてあるのでしょうか?

『歎異抄』とは?

『歎異抄』は、700年ほど前に親鸞聖人の高弟、「唯円」によって書かれたものとされています。
親鸞聖人亡き後、聖人の教えと異なることを言いふらす人たちが現れたため、その誤りを正そうとして書かれたものなのですね。

親鸞聖人の“善人なおもって往生をぐ、いわんや悪人をや。”(善人でさえ浄土へ生まれることができるのだから、悪人ならば、なおさら往生できる。)という言葉は有名ですね。

そして、この『歎異抄をひらく』を著したのが、高森 顕徹という宗教家で、浄土真宗親鸞会の会長です。

私も初めて知ったのですが、この書が、知られるようになってから100年も経っていないそうです。
それは500年ほど前に、浄土真宗の中興、蓮如上人(親鸞聖人から8代目)が、親鸞聖人を誤解させる恐れがあるとして「仏縁の浅い人には披見させてはならぬ~!」として封印されたからなのですね。
(明治の末から、ある縁がきっかけで、急速に読み始められたのだそうですよ。)

蓮如上人の言われるとおり『歎異抄』は、もろ刃の剣ですよね。
それは、“善人なおもって往生をぐ、いわんや悪人をや。”の言葉など、悪を勧めているようにも読めます。
また「阿弥陀さまは、悪人大好きな仏だから、悪をするほどいいんだ。」という人も現れて、「親鸞の教えは、悪人製造の教え」と非難されたようです。

東京大学の名誉教授でさえも『歎異抄』を読み違えて、「念仏を称えたら救われる…と教えたのが親鸞」と教科書に記して物議をかもしたそうです。

東京大学の名誉教授でさえ読み違えるほど難しい『歎異抄』を、うつオジサンなどのようなただの「うつ病患者」が読み解けるとは思えませんよね。(読み解けないことの単なる言い訳です。)

『歎異抄』は、難しい。難しいものは難しいのです。
なので『歎異抄をひらく』もまた、同じく難しいのでした。

うつオジサンの悲しき過去…!

うつオジサンは、無神論者です。
無宗教者ではなく“神も仏もいやしない”、完全なる無神論者なのです。
(無神論と無宗教の違いについては、これまた難しいようなので、無視しましょう。)

うつオジサンは、“人間死んだら灰になるだけさ”だと思っています。
ただし、それぞれの宗教を否定する気はさらさらありません。
それらの宗教は、『死』に対する恐怖を取り除き、或いは和らげ、その時代、時代において、争いや病、飢餓その他の様々な背景の中で、必然的に成り立ち、信じる者の心を救い、現在まで脈々と引き継がれてきたのだと思うからです。

神も仏も信じていないうつオジサンは、うつオジサン自信でさえも全く信じてはいません。
…と言うことは、うつオジサンには縋りつくものがないのです。
うつオジサン自身を信じていないだけならば、まだいいのです。
うつオジサンは、うつオジサン自身を嫌っているのです。

うつオジサンは、己を知り、己を嫌っています。
うつオジサンは、うつオジサン自信を大嫌いなのです。

さて、その根っこはどこにあるのでしょう?
一つだけ思い当たることがあります。

うつオジサンは、男3兄弟の真ん中です。
長男は、生まれた時それは可愛かったらしく、男の子が欲しかった父も大変可愛がったそうです。
父は、どうしても次は女の子が欲しかったらしいのですが、生まれたのがうつオジサンです。
おまけにかなりのブサイクだったらしく、父はうつオジサンを抱こうともしなかったと聞きました。
次こそはと生まれたのが、またまた男の子だったのですが、それはそれは可愛らしい男の子だったため、父はこれまた可愛がったと聞きました。
「だから、お母さんは〇〇ちゃんを一番可愛いがってたんだよ。」と祖母が教えてくれました。

この話を祖母に聞いたのが、うつオジサンが10歳、北海道の冬の夜、母のお通夜の時のことです。
母が亡くなり悲しんでいるところに、“かなりのブサイク”と言われ、幼い心に追い打ちをかけなくてもいいものを…!と思ったものです。
(祖母は、純粋に、うつオジサンが母親から一番可愛がられたんだよ…と言いたかったのでしょうね?)

それから2、3年経った頃、また祖母に教わったことがあります。

祖母に教わった言葉が「中庸の徳」です。
本来は、全く違う意味なのですが…。

その昔、台湾で教師をしてた祖母曰く「昔、中国に孔子という偉い人がいてね、“中庸の徳”が大事だと言っているんだよ。だから、真ん中、中ぐらいが一番いいんだよ。」と…。
2番目、真ん中であるうつオジサンを慰めてくれました。
その頃から既に、うつオジサンは自分を嫌い、祖母はそれに気づいていたのでしょうか?

本来の「中庸の徳」とは、

「中庸」は、孔子が最高の「徳」として説いた概念です。
「中庸」とは、かたよることのない「中」をもって道をなすという意味です。
「中庸」を学ぶ意義として「天命を知る」という考え方があります。

「天の命これを性といい、性に従うこれを道といい、道を修むるこれを教えという。」
 
天が人に授けたものが人の本性であり、その本性に自然に従うことを人の道というのですね。
また、人が歩まねばならない道を修めるのが教育なのですね。

高校の頃、再びこの「中庸の徳」を学び、祖母の慰めを思い出しました。
それらのことが自分自身を大嫌いな原点・根っこなのではないかと思っています。

歳を取りオジサンになった今、ブサイクなど、さほど意味はありません。
しかし、自分をずっとブサイクだと思いながら育ったためか、どうにもへそ曲がりで強情なうつオジサンになってしまいました。
自分でも呆れるくらいに…!
 
『歎異抄をひらく』をひらいてみましたが、あまりに難しく、ついついうつオジサンの悲しき過去を書いてしまいました。
『歎異抄をひらく』は、そっと本棚に戻しておきましょう!

200 DegreesによるPixabayからの画像)
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