うつオジサンは、「~たら、~れば」について考えてみました。
「~たら、~れば」を考えることは無駄なことでしょうか?
「~たら、~れば」…
もしも「結婚」して家族を持っていたら、「うつ病」になったのだろうか?
会社の人事異動で、あの部署に行っていなければ、「うつ病」になったのだろうか?
この二つは、確かに「考えても詮なきこと」です。なので、こんな「~たら、~れば」は考えません。
「~たら、~れば」を考えることは、無駄なことだという人がいます。
しかし、うつオジサンは、そうは思いません。
「~たら、~れば」を考えなければ、学ぶことや反省することはできません。
実は「~たら、~れば」から教わることはたくさんあるのです。
「~たら、~れば」を考えなければ、前に進むこともできません。
これだって、立派な「~たら、~れば」ですね。
うつオジサンは、よく「~たら、~れば」について考えます。
まあ、暇人の暇つぶしかも知れません。もちろん「思うて詮なきことは思わず」は承知しています。
うつオジサンが考える「~たら、~れば」は、もしも「うつ病」になっていなければだけです。
「うつ病」になっていなければ、いったいどんな生活を送っていたのだろう!ってことですね。
うつオジサンのスタートラインは、いつもここから始まるのです。
「うつ病」になっていなければ、どうなっていたかを考えてみて、「うつ病」になってしまったうつオジサンは、それ以上になってやろうと思うのです。“それ以上”という曖昧さが味噌ですね。うつオジサンなのですから。
うつオジサンは「うつ病」なので、「うつ状態」になる日だってあります。
こんな日は無駄な抵抗はしません。ひたすら寝込んで「うつ状態」をやり過ごしています。
元気な日には、「~たら、~れば」を思い出して、前進していこうと考えます。
うつオジサンのように「~たら、~れば」がなければ、前に進めない人だっているのです。
また、「うつ病」が治らなかったら、どうやって生活していくのかも考えなければなりません。
「~たら、~れば」は、過去のことだけではありません。将来のことにも関わります。それに備える必要だってあるのです。
うつオジサンだって、「~たら、~れば」ばかりを考えているわけではありませんよ。
ただ、うつオジサンが前進していく糧にはなると思っているのです。
「思うて詮なきことは思わず」は大事なことです。
何しても、思い過ぎは禁物ですね。
時には「~たら、~れば」を糧にして、前を進んでいくこともアリではないかと思います。