うつオジサンは、大きなトラウマを2つ抱えています。
大きな2つのトラウマを抱えたままで、よくぞ今まで生きてきたもんだと感心します。
「ブサイク」というトラウマ…!
他の人にとっては、なんてことないことでも、本人にとっては大きなトラウマ(心的外傷)を負っている場合がありますね。
うつオジサンのトラウマの一つに「ブサイク」があります。
この「ブサイク」というトラウマを負ってしまうようになってから、もう49年が経ちます。
「ブサイク」をうつオジサンの脳裏に焼き付けたのは、母方の祖母です。
忘れもしない、うつオジサンが小学校3年生(9歳)北海道千歳市の冬の夜のこと。
母が亡くなったそのお通夜のときのことです。
祖母が諭すように言ったことは、
「お父さんは、最初の子どもがお兄ちゃんで、とても可愛がったんだよ。お父さんは、次の子どもは絶対に女の子が欲しかったんだけど、生まれたのが〇〇ちゃんだったんだね。それにかなりの「ブサイク」だったから、○○ちゃんを一度も抱いてもくれなかったんだよ。次こそは女の子と思ったらしいんだけど、また男の子だった。でもね、それはそれは可愛い男の子だったから、また可愛がったんだよ。お父さんが○○ちゃんを可愛がってくれないから、お母さんは○○ちゃんを一番可愛がってたんだよ。」
…らしいです。
(○○ちゃんとは、うつオジサンのことです。)
祖母は、ただ「お母さんは○○ちゃんを一番可愛がっていた」ってことを言いたかったのでしょうが、「ブサイク」だけは余計なことだった。
母を失くして悲しんでいる幼い心に、「ブサイク」という重荷を背負わせなくてもいいものを…。
それ以来、うつオジサンは「ブサイク」というトラウマを背負って生きてきました。
そのためか、うつオジサンは写真を撮られることが大嫌いです。
どうしても取らなければならない集合写真は、大抵横を向いているか、目を閉じています。
ここ10数年で、まともな写真は免許証の写真だけです。
これがまた、大笑いできる代物です。誰が見ても大笑いするでしょう。
うつオジサンが死んだときの遺影は、この免許証の写真をが使われるのでしょうか?
だって、この写真以外に残っていないんだから…。
うつオジサンのお葬式は、大笑いする人が続出するかも知れません。
そんなお葬式もいいではないか?
それで「ブサイク」というトラウマが終わってくれればいいのです。
「音痴」というトラウマ…!
うつオジサンは、中学の3年間、友達と二人でバンドを組んでアコスティックギターを弾いて歌っていました。
歌うと言っても、ハモるだけです。
高校3年間は、6人でロックバンドを組んでエレキギターを弾いていました。
うつオジサンの前にだけ、いつもマイクはありませんでした。
なぜいつもマイクがないのかは、だいたい想像はつきました。
「音痴」だからでしょう!
大学時代は、アコギを弾きながら、もっぱら作詞・作曲に励んでいました。
社会人になってからは、ただアコギを弾いて自己満足に浸っています。
社会人になると、宴会の2次会はカラオケかスナックですね。
上司から歌えと言われれば、歌わなければなりません。
まあ、そんなときのために、2・3曲だけ用意していた歌を「音痴」がバレないように歌っていました。
困るのが、中学や高校の同級生との飲み会の2次会です。
「○○は、ギター弾いてたから歌も上手いんやろ!」
「○○の歌、聞いたことないよなあ。歌ってくれよ!」
「○○、歌ってみろよ!」
「○○、歌え!」
…と、飲み会が増えるたびに、うつオジサンの歌のリクエストはどんどん過激になっていきました。
同級生なので、何とか歌わずに「音痴」がバレないようにしてきました。
歌っていないので、「音痴」がバレることはないですよね。
うつオジサンになってしまったら…!
うつオジサンになってしまったら、「ブサイク」も「音痴」もどうでも良くなってきました。
「ブサイク」や「音痴」よりも「うつオジサン」の方が、よほど心配なことだからです。
「ブサイク」や「音痴」を心配する必要は、もうないのかも知れません。
でもなあ、うつオジサンは小心者なので、心のどこかに「ブサイク」と「音痴」のトラウマが未だに隠れています。
そして、今でも時折その姿を現します。
うつオジサンになってしまったら、もう怖いものなど一つもないはずです。
スナックで弾き語りもしてますし、髭なんかも生やしたりしています。
それでいいではないかと思うのですが、心のどこかに「ブサイク」と「音痴」のトラウマが隠れているのです。
残り少ない人生、おまけに「うつオジサン」の人生、「ブサイク」と「音痴」のトラウマなんて捨てちまえ!
そう思う、うつオジサンなのでありました。