うつオジサンは、愛情について考えてみました。
愛情と言っても、恋愛や夫婦愛、家族愛、郷土愛など色々あります。
友情も含まれるのかも知れませんね。
「恋愛」について…!
うつオジサンの恋愛について、お話をするつもりはありません。
それならば、なぜ「恋愛について」という見出しから始めたのでしょう。
「恋愛」から生まれる愛情は、他のどの愛情にも増して強い力を生み出すからです。
「恋愛」という愛情が芽生えた途端、世界が変わったような感覚を覚えませんか?
少なくとも、うつオジサンは、そのように感じてきました。
この「恋愛」という愛情は、相手の想いと重なっている場合と一方的に相手を想うに留めている場合において、愛情の力が発揮されます。
「恋愛」という愛情は、永遠に続くわけではなく、自然にあるいは急激に消滅していきます。
「恋愛」が成就して夫婦となり、やがて「夫婦愛」となって、それが続くことが一番理想的な愛情の形なのでしょう。最近の夫婦別姓や離婚率を考えると、その昔ほど、「夫婦愛」の奥深さはやや浅くなっているのかも知れません。
うつオジサンは、結婚をしたことがないので、「夫婦愛」とはいかなるものか想像するしかないのですが、年を重ねた夫婦の愛情は、いかにも微笑ましいものに映ります。
この「恋愛」という愛情は、強ければ強いほど、裏切りや幻滅と言った要素によって、逆のベクトルとなりその力を発揮します。
愛情は、憎しみや恨みに変わって行くのです。
この点については、うつオジサンは、痛いほど経験しました。
うつオジサンには「恋愛」と言う愛情は、縁遠い愛情なのでこの辺にしておきましょう。
「家族愛」について…!
うつオジサンは、「家族愛」というものに十分に恵まれたとは言えません。
親からの愛情がなかったとは決して言いませんが、他の家族を見るにつけ、うつオジサンの家族の形はいびつな形をしていたように思います。
言うなれば、幼い頃から個人主義的ともいうような考えを持ち、親兄弟それぞれが独立していたのです。
説明するのは難しいのですが、一つ例を挙げると、大学進学するのか就職するのかも、言わず聞かれず、どこの大学を受けるのかも、言わず聞かれず、決まってから報告するだけで、報告しても「ふ~ん。」と言った具合でした。
ご想像いただけるのではないでしょうか?
いかにもうつオジサンは、十分には「家族愛」に恵まれてはこなかったのです。
このことが「恋愛」はしても「夫婦愛」を望まなかったうつオジサンに繋がることになったのでしょうね。
「家族愛」に溢れて育った人は、通常の「家族愛」を育んでいけるのでしょう。
「家族愛」に十分に触れずに育った人は、「家族愛」からは遠いところで過ごすことになるのでしょう。
「郷土愛」について
うつオジサンが住んでいるところは、いわゆるうつオジサンの「ふるさと」です。
首都圏や関西圏などの都会ではありません。地方の一都市です。
うつオジサンは、東京やその他の都会と言われるところに住んだこともあります。
しかし、結局はふるさとに戻ってきたと言うことは、「郷土愛」はあったのでしょうね。
都会ではないのですが、まったくの田舎でもありません。(まあ田舎ですね?)
住むにはちょうどいい、そんな感じです。
最近でこそ、新型コロナウィルスのせいで「来ないでください」感であふれていますが、以前は、やれ地域活性化だとかふるさと納税がどうだとか言われていましたね。
うつオジサンもこのふるさとの活性化に多少は寄与していきたいと思っています。
やはり「郷土愛」だけはあるようです。
まあ、うつ病患者なので、何ができるのか分かりませんが…。
結局のところ・・・!
結局、うつオジサンは、今回何が書きたかったのでしょう?
ダメ記事の見本になってしまいました。
まあ、これも「うつオジサンの闘病日誌」なのでご容赦を…。こんな日もあるさ!
「愛情」は、人間にとってどの形にしても大事であり、必要な感情です。
この感情を失くしてしまったら「うつ病患者」か「AI」になってしまいます。
偏った「愛情」は別にしての話ですが…。
もしも、あなたが「うつ病」の中にいるのなら、「愛」を思ってみてください。
どんな形でもいいのです。
ほんの少しでいいのです。