「うつ病歴20年目」のオジサンの闘病日誌です!「うつ病」かなって思ったら…!「うつ病」になっちゃったら…!「うつオジサンの闘病日誌」を読んでみてください!何かのヒントになるかもよ!

「禅」の言葉…!

  • 2020年9月22日
  • 2021年7月10日
  • 読書

うつオジサンは、また「心」がゾワゾワしています。
こんな時には、「禅」の言葉に触れてみるのもいいのではないかと思います。

『自灯明』

お釈迦様が亡くなる前に、弟子のアーナンダが「釈尊が亡くなられたら、これからは何に頼ればようでしょう」と尋ねたところ、お釈迦様は、「自らを灯明として、拠りところにしなさい。法を灯明として、拠りところにしなさい。」と答えたと伝えられています。

人の肉体は亡くなっても、法は永遠なのです。
灯明となるのは、自分自身しかありません。
人に頼ろうとする心、弱い心はたたき出してしまえ。
自分を拠り所として強い心を持ちなさい。…といったようなことですね。

また、9歳で「出家」を願い出た親鸞に、老僧が「今日はもう遅いから、家に帰って、もう一度考えてみてはどうか」と言ったところ、親鸞少年は「いやです」と答えました。
老僧は、何とか家に帰そうとしたところ、9歳の親鸞少年は「あすありと 思ふこころの あだざくら よはにあらしの 吹かぬものかは」(今咲いている桜も、明日にはどうなるかは分からない。夜中に嵐が来たら散らないとも限らない。)という歌で答えたそうです。
 
「禅」を世界に知らしめた鈴木大拙博士(1870~1966年)が、外国の哲学者から、お釈迦様の臨終の言葉を聞かれた時、「依頼心を捨てよ!」と答えたそうです。

『自灯明』の生き方こそ、私たちが目指す生き方なのかも知れませんね。
うつオジサンの場合、頼りたくても頼る人がいないのですけどね。

『生ぜしも独りなり、死するも独りなり』

時宗の開祖である一遍上人(1239年~1289年)は、「生ぜしも独りなり、死するも独りなり」と言われています。
人は生まれる時も独り、死ぬ時も独りなのですね。
どんなに偉い人でも、どんなにお金持ちでも、うつオジサンと同じく死ぬ時は独りなのです。
トランプ大統領も菅総理大臣も安倍さんも、死ぬ時は、うつオジサンと同じく独りなのです。

また、一遍上人は、自分が死んでも何もするな、野に捨てて獣に施せとも言われています。
うつオジサンは、これには共感しました。
うつオジサンもそういう気持ちを持っているからです。

ただし、独りであることが良いと言われているのではなくて、独りだからこそ、同じ時代に生きる人、縁があって身近にいる人と一緒に過ごす時間は貴重なのだと言っているのです。

みんな平等に与えられた一度限りの人生、一度きりの出会いを大切にしなさいと言うことでしょう。

ちなみに、うつオジサンは死ぬ時はもちろん独りですが、生きている時も独りです。
毎日一人です。喜ぶべきか悲しむべきか?

『無財の七施』

「お布施」というのは、在家の信者がお坊さんに財物を施すことを言いますが、これは「財施」という「布施」の一つです。

お金がなくたってお布施はできます。
これが「無財の七施」と言われるものです。
 ① 捨身施…身を捨ててかかれということで、肉体があれば勤労奉仕することによって、他人に尽くすことができるのです。
 ② 心慮施…他人を思いやる心を持ちなさいと言うことで、感謝の気持ち、思いやりの気持ちを持って、何とかしてあげたいと思うことです。
 ③ 和顔施…笑顔を忘れるなということで、人に接する時に常に和やかな顔でいれば、お互いに気分が良くなると言うことです。
 ④ 慈眼施…優しい目で人を見なさいということで、慈悲の心や愛情は目に現れるものなので、優しい眼差しを施すことです。
 ⑤ 愛語施…人には優しい言葉をかけなさいということで、心から優しい言葉を人にかけてあげることも立派な「布施」になるのです。
 ⑥ 房舎施…他人を自分のように扱うことで、雨の日に傘に入れてあげたり雨宿りさせてあげたりする、思いやりの行動をすることです。
 ⑦ 庄坐施…人に自分の席を譲ってあげたりすることで、親切にする「布施」のことです。

大切なことは、「布施」をして感謝されることを望んではいけません。
むしろ、「功徳」を積ませていただいてありがとうございます、と、お礼を言うのは自分の方だと言うことですよ。
例えば「あの人に席を譲ったのに、お礼も言われなかった」とほざいてはいけないのです。
お礼を言うのはあなたの方なのですから。

久しぶりに「禅」の言葉に触れてみました。
…が、ゾワゾワ感はいっこうに消えません。

うつオジサンは、まだまだ修行が足りないようです。
そもそも、うつオジサンには信仰心がないからね!

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