「うつ病歴20年目」のオジサンの闘病日誌です!「うつ病」かなって思ったら…!「うつ病」になっちゃったら…!「うつオジサンの闘病日誌」を読んでみてください!何かのヒントになるかもよ!

「大韓民国」という国…!

うつオジサンは、昨日、「コピノ」と「ライダイハン」という韓国人の罪について書きました。
うつオジサンは、書きながらだんだんと腹が立って来ました。
そこで、「大韓民国」について思い出したことを続けて書いてみようと思います。

「李氏朝鮮」時代…!

李氏朝鮮とは、1392~1910年(初代 李成桂)の間、朝鮮半島を治めた国です。
ここで一つ面白いお話しがあります。

世宗王の頃、1429年に通信使として重臣である朴瑞生が日本に渡って来ました。
室町時代の日本の農村の揚水水車を見た朴瑞生は、配下の者に作り方を教わり、帰国後、模型まで用意して世宗王に報告しました。「我が国でもぜひ…」と進言しました。
進言は受け入れられ、揚水水車を作ろうとするのですが、どうしても作れません。
次の王の時代にも、その次の王の時代にも作れませんでした。

これは「曲げ木」という技術なのですが、これがなかなかできない。
水が逃げないようにするための寸法の合わせ方や木材の切り出しができなかったからだそうです。
水が漏れない桶や樽が作れないために、女性たちは重たい甕を頭に乗せて水を運んだそうです。

時は過ぎて、第十一次の朝鮮通信使に随行した金仁謙は、淀川にあった水車の見事さに感服したそうです。
そして、帰国後、「我が国でもぜひ…」となるのです。
1429年に朴瑞生が日本を訪れてから、実に334年後のことです。
334年経っても水車は作れていなかったのです。

さらに金仁謙が報告したことに、
 ① 日本には銭湯というものがあり、人々は清潔である。
 ② 日本では屋根のある商店で魚や肉などの商品を売っている。
 ③ 日本の川には橋が架かっていて、通行料を取っている。
…と、報告して、「我が国でもぜひ…」となるのです。 
1763年の時点で、公衆浴場がないばかりか、屋根のある商店もなく、魚や肉を土の上に置いて販売していたことになりますね。

韓国人はよく「日本に併合されていなかったら、自律的な発展を遂げていた。」という人がいるそうです。
日韓併合時の朝鮮人の写真を見ると、1429年の朴瑞生の頃から500年ほど経った、何の進歩もない朝鮮人の姿を見ることができます。

日本に併合されていなかったならば、朝鮮がどうなっていたかは容易に想像できますよね。
きっと「支那」の「朝鮮自治区」か、ロシアの「コリアスタン」だったはずです。

「大韓民国」という国…!

韓国国民あるいは朝鮮人民は、「〇〇大国」とか「〇〇強国」という言葉を好んで使います。

少し例を挙げてみましょう。
「貿易大国」「通商大国」「製造業大国」「世界五大科学強国」「二次電池強国」「幹細胞強国」挙げれば切りがありません。
これらは、自称であったり韓国紙が報じていることなので、どうぞご自由に!…という感じです。
「デザイン大国」「貯蓄大国」「自動車大国」となると、少し事情が変わります。
実情は「パクリ大国」「借金大国」「自動車組み立て大国」なのです。
さらに「帝王切開大国」「堕胎大国」「喫煙大国」でもあります。

驚くことに「児童(養子)輸出大国」でもあるのです。
輸出される児童は障害を持っていることが多いそうです。
また「里子大国」でもあり「里父が里子を強姦」することも珍しくないとのこと。
そして、その里子に子どもができると海外養子に出すそうです。
手続きを進めるのは公的機関だというから驚きですね。
こうなると怒りさえ覚えます。
さらに「グリーン大国」と称していますが、実態は「産業廃棄物の海洋投棄大国」(一部に人糞を含んでいるとも…。)です。

1910年に終焉を迎えた李氏朝鮮は、日清・日露戦争に勝利して大国となった日本の「大日本帝国」をパクリ「大韓帝国」を国号としました。
朝鮮戦争で南北分裂してからは「大韓民国」を名乗っています。

国号の固有名詞に「大」の意味を用いているのは、「大韓民国」と「大英帝国(グレート・ブリテン:略)」だけですね。(ルクセンブルク大公国は「大公」が元首の称号です。)

「大韓民国」を英語表記にすると、Republic of Korea となりますが、「大」が消えていますね。これでは「コリア共和国」になってしまいます。

ある言語学者が、英語表記を Republic of Great Korea にすべきだと提唱されたそうですが、そうはなっていません。
さすがにそこまでは名乗れなかったのでしょうか?

これが彼の半島の国の現実なのです。

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