以前、うつオジサンは「非難」をしないようになろうと書きました。
それは、あくまでも、自分から探し出して「他者を非難」すること止めるということです。
「非難」すべきことは「非難」してもいいのです。
「非難」しないうつオジサン!
「非難」しないうつオジサンは、誠に窮屈です。
「非難」しないと思えば思うほど、「非難」したい気持ちが膨らみます。
今度は「非難」しようと思い、週刊誌や雑誌やニュースを見ているのですが、何を「非難」したいのかが分からなくなります。
「非難」を探し回ってまで「非難」することはしない、…と決めました。
そう決めてしまうと、「非難」することがまったく見えなくなります。困ったもんだ!
前言を撤回して、「非難」することを「良」としようか。悩みどころです。
うつオジサンが読むような雑誌や週刊誌は、他者を「非難」することで注目を集めています。
それらを読んで「非難」しないことを書こうとするから無理があるのです。
それらには「ほめる」ことなど書いてないのですから。
「非難」すること以外に、うつオジサンが書けることと言えば「うつ病」と「ケタミン治療」、それから「禅の言葉」くらいのものです。
「非難」することを止めてから、うつオジサンの体調や精神状況が悪くなった気がします。
「初心に戻る」…!
うつオジサンの初心とは、「うつオジサンの闘病日誌」ということになります。
闘病日誌と言っても、そうそう書くことは見つかりません。
毎日がほとんど同じことの繰り返しなのですから。
例えば、外に出掛ければ、新しい何かに出会うこともあるでしょう。
違った分野の本を読めば、違った知識を得ることもできるでしょう。
また、誰かと話をすれば、何かを感じることができるかも知れません。
しかし、うつオジサンは人と話をすることが苦手な引きこもりです。
この部屋の中にあるものや、テレビや携帯のニュースくらいしか情報はありません。
極めて小さな世界に住んでいる、困り果てたオジサンなのです。
うつオジサンの初心の中に、悪いことは悪いと「非難」することを加えてみたらどうでしょう。
もしかすると、「禅」や「仏教」の世界で言う「妄想・煩悩・執着の雲」がすっかり晴れてくれるかも知れませんよね。
「非難」することを「禅」や「仏教」では嫌っています。
うつオジサンは、禅を修行する禅僧でもなければ、心からの仏教徒でもありません。
それならば「非難」したっていいじゃないか。
「非難」することで、うつオジサン一人の心が救われるかも知れないのです。
「非難」することは、最初からうつオジサンの初心に含まれていたことにしましょう。
そう、菅総理が日本学術会議の推薦した105人から6人を除外したことの言い訳のように…。後付けだっていいではないか。総理大臣だってしているのですから。
「非難」することがOKならば、後はいかに理路整然と「非難」するかですね。
そのためには、学ぶことが必要です。
世界中が混沌としている中、ネタはたくさんありそうです。
明日から、また「非難」することを書くのだ!
そして、うつオジサンの心の平安を取り戻そう!