昨日、うつオジサンが主治医に言われた言葉です。
さて、この言葉をどのように受け止めればいいのでしょうか?
『幸せになる権利』…!
一昨日、うつオジサンは「焦っている」と書きました。
そして、昨日の診察のとき、思い切って主治医に話してみました。
返ってきた言葉が『幸せになる権利』でした。
またまた、うつオジサンを悩ませてくれる言葉です。
一昨日の「焦り」について、主治医にじっくりと話しました。
すると「まったく焦る必要はありません。」と予想通りの回答でした。
普段であれば、ここで終わります。
「ここからは、私の個人的な意見ですが…」という前置きの後、「あなた方は、ずっと苦しんで来られました。だから、これから『幸せになる権利』があるのです。」…と。
普段は、ここまで踏み込んだことは言われません。
きちんと治療を受けているうつオジサンへの励ましだったのでしょうか?
それとも、うつオジサンを悩ませるための悪戯だったのでしょうか?
確かに悩まされる言葉ですよね。
うつオジサンの主治医は、『幸せになる権利』などという言葉をどこから見つけ出してきたのでしょう。
うつオジサンの主治医は、ときどき不思議な言葉を投げかけてきます。
そして、うつオジサンに考えさせるのです。
または、「〇〇について自分で調べてみてください。」と宿題を出されたりもします。
主治医には全幅の信頼を寄せています。
なので、色々考えてみたり、宿題を調べて報告したりしています。
今回は「あなた方は、ずっと苦しんで来られました。だから、これから幸せになる権利があるのです。」という言葉を素直に受け止めましょうか?
100%を求めない…!
『幸せになる権利』には続きがありました。それは「100%を求めない」ことです。
うつオジサンは、「うつ病」になって失ったものがたくさんあります。
うつオジサンに限らず「うつ病」になってしまったら、何かしら失うものがあります。
仕事や学校、お金や時間、恋人や友人、信頼や自信、夢や希望、などなど人それぞれです。
失ったものは戻りません。
「失くしたものを嘆くより、有るものに感謝する。」でいいのです。
問題はここからですね。
「うつ病で3割、4割なり失くしたとしても、まだ6割、7割は残っています。」、さらに主治医曰く「100%を求めても、取り戻すことはできません。残っているものを生かしたり、新しく見つけながら『幸せ』になってください。『幸せになる権利』はあるのですから…。」…と言われても…!って感じですよね。
肝心なところが抜けている気がするのですが…。
そこまで話されると、今度は「ここからは哲学とかの分野になってくるんだよなあ。難しいよなあ。」と言いながら自分で頭を抱え込んでしまわれました。
自分から話し始めたのになあ。…と、うつオジサンは少し呆れていました。
昨日は主治医から、何かいいことを言われたような気がしましたが、改めて考え直してみると『幸せになる権利』という言葉以外に、目新しいことを言われたわけではないようです。
よほど『幸せになる権利』という言葉を使いたかったのでしょうか?
人は皆…。
人は皆、生まれながらにして平等です。
これは、「世界人権宣言」の第一条に書かれています。
現実的には、平等どころの話ではないのですが…。
例えば、ユニセフが言っているように「6秒に一人」の幼い命が、失われています。生まれてくる場所が違っていたら助かっていた命です。
生まれながらにして何と不平等なことか。
そう思うと、うつオジサンの『幸せになる権利』など、どうでも良くなってきます。
そうは言っても、うつオジサンだって『幸せ』になれるものなら、なりたいのです。
そうしたら『幸せ』のおすそ分けと言ったら失礼ですが、ユニセフの活動に支援したいと思っています。
子ども達を一人でも多く救いたいのです。(なぜ今からしようとしない!?)
さて、「権利」の反対側には「義務」があります。
うつオジサンは「義務」を果たしているのでしょうか?
「教育の義務」は、一応は大卒なので果たしたと思います。
しかし、「勤労の義務」と「納税の義務」については、必ずしも果たしているとは言えません。
「うつ病」なので…という言い訳をしたとしても、「権利」を主張できるでしょうか?
それも『幸せになる権利』という、あってなきが如くの「権利」を…。
日本国憲法第13条では「幸福追求権」を規定しています。
「幸福」は追求してもいいのです。
しかし『幸せになる権利』など、どこを探してみても出てきません。
(Googleで検索すると色々と意見はありましたが…。)
もしかすると「幸福追求権」=『幸せになる権利』だったり、「幸福追求権」<『幸せになる権利』だったりするのかも知れませんね。
もっとも、「幸福」自体の定義が明確ではないので、個人個人の感じるところが大きいものなのですが…。
またまた、もしかすると、うつオジサンにとって、今現在が一番「幸せ」だったりするのかも知れません。
(それだけは、絶対に嫌ですが…。)
うつオジサンの主治医が言う『幸せになる権利』は、「うつ病で苦しんできた」ことによって得られるものではありません。
人は皆平等にあるのです。
人は誰でも『幸せになる権利』を持って、追求した先に「幸福」はある…のかも知れないですね。
うつオジサンの主治医が言った『幸せになる権利』を深掘りしてみようと思いましたが、主治医の単なる悪戯だったり、自問自答だったり、気まぐれだったりする可能性もあります。
なので、この辺でやめておきましょう。
昨日は、看護師に対して勘弁して欲しいと書きました。
今日は、主治医に対して勘弁して欲しいと書きましょう。
哲学的なことや宿題は、もう勘弁して欲しいです。