昨日は、腹立たしい気持ちで一日を過ごしました。
朝、目覚めて、そのことを思い出した途端、再び腹立たしい気持ちになってしまいました。
そこで、『禅』の言葉に触れて、腹立たしい気持ちを無くしてしまおうと思います。
『日日是好日(にちにちこれこうにち)』
唐の時代、雲門和尚(864~964年)の有名な禅語です。
「毎日毎日は安らかでいい日ですよ。」と言った意味でしょうか。
また、「人は、生きているだけで素晴らしいのです。他には何も要らないのですよ。」…と言うことでしょうね。
誰しも、このように思っただけで気持ちは楽になります。
しかし、明日のことや将来のことなどを思い出した途端に「苦しい」気持ちへと変わってしまいます。
普通に生活をしていくためには、明日のことや将来のことを考えない人はいませんよね。
また、次から次からスケジュール帳に予定を書き込み、それと“にらめっこ”をしながら、ああしようこうしようと考えています。
仕事をしていればもちろんですが、主婦の方でも、うつオジサンだってそうです。(病院に4か所通院しているためです。)
これは、生きていくためには仕方がないことです。
ですが、もし先のことを心配しているのなら、それは必要はありません。
先のことはどのようになるのか誰にも分からないからです。
先のことは得てして思うようにはいかないものです。
先のことを心配したり悩んだりするよりも、今日というこの一日をただひたすらに生きてみませんか?
『喫茶去(きっさこ)』
同じく唐の時代の趙州和尚(778~897年)は、何を聞かれても「喫茶去」と言われたそうです。
「喫茶去」とは、「まあ、お茶でも飲んで行きなさい。」と言った意味です。何気ない言葉ですね。
僧の修業は、私たち(うつオジサンを除く。)の仕事とは比べ物にならないほど厳しいものだそうです。
しかし、そんな中で「まあ、お茶でも飲んで行きなさい。」と言われたら、きっとホッとしたことでしょうね。
うつオジサンもそうでしたが、自分の価値観は正しいと勝手に思い込んで、議論になると相手を論破することで優越感に浸っていました。
相手にしてみれば、打ち負かされたという嫌な気持ちを抱くでしょうし、または、成熟した大人の考え方ができる人は敢えて負けてくれたのかも知れません。
どちらにしても、優越感に浸っているのは自分だけで、相手やその議論の中にいた人たちは、優越感に浸っている人のことを嫌いになるでしょう。
あるいは相手にしなくなるでしょう。
そんな議論をしている中でも「まあ、お茶でも飲みましょうよ。」と言われたら、熱くなっていた心は静まってくれるのではないでしょうか?
そして、お茶やコーヒーを飲んで「ああ、おいしい」と感じることが一番大事なことなのですね。
一杯のお茶を心から「ああ、おいしかったあ」と思える人は、間違いなく幸せな人なのです。
※ うつオジサンの家には、Amazonや楽天で購入したものを配達する人しか来ないので、残念ながら「喫茶去」とは言えないのです。
『眼横鼻直(がんのうびちょく)』
目は横に並んでいて、鼻は縦に長く付いています。当たり前のことですね。
道元(1200~1253年)は、禅を学ぶために中国の宋に渡って修行しました。
帰国後、「宋で何を学んできたか?」と問われ「眼横鼻直を悟った。」と答えたと言われています。
眼は縦に並ぶより横に並んでいる方がいいし、鼻は横に長くついているよりも縦に長くついている方が自然だということです。
何か理由があってそうなっているのではなくて(生物学的な理由はあるにしても…。)、自然とそのようになっているのですね。
歯の並びにしても耳が横についていることにしても当たり前のことです。
そして、それらは当たり前のように働いてくれています。
私たちは、当たり前のことには感謝しませんよね。(うつオジサンは、精神が当たり前ではないので、その分を差し引いて感謝します。)
しかし、敢えてこのことを考えてみると有り難いと思いませんか?
「眼横鼻直」とは、当たり前のことが当たり前に働いてくれることに感謝しなさい、という教えなのですね。
『禅』の言の葉…!
今日は、3つだけ紹介してみました。
禅の言の葉は、考え思いを巡らせると、“ありのままの自分”を思い出させてくれます。
本来は、考えたり思いを巡らせたりすることなく“ありのままの自分”でいることこそ大事なのでしょうが、うつオジサンのような凡人以下の人間にはできそうにありません。
それはそれでいいと思っています。
禅語に触れる(考え思いを巡らせるとしても…。)と、何かを感じさせてくれます。
そのため、ときどき『禅』の本を引っ張り出して読んでいます。
読むというより感じる、触れるといった感覚でしょうか?
騒がしい心を静めてくれるという点では、一番のおすすめですね。
『禅』の本といっても数限りなくあります。
そのうちのどの本でもいいと思いますよ。
あなたも心を静めたくなったら『禅』の本に触れてみてください。
もしも、あなたが「うつ病」の中にいるのなら、『禅』に触れてみてください。
一つの禅語でいいのです。
元気な時でいいのです。