「うつ病歴21年目」のオジサンの闘病日誌です!「うつ病」かなって思ったら…!「うつ病」になっちゃったら…!「うつオジサンの闘病日誌」を読んでみてください!何かのヒントになるかもよ!

ラッセルの『幸福論』に見る、「不幸の原因」と「幸福をもたらすもの」について…!

ラッセル(1872-1970)の『幸福論』一冊を要約して、「幸福」について考えてみました。
ラッセルは、自分の関心を内へ内へと向けるのではなく、外界へと振り向けて好奇心を抱くること。これこそが幸福獲得の条件であり、それは、自己説得によって可能なのだと説いています。
この中には「幸福」の処方箋がたっぷり書かれています。

はしがき

読者に提供した処方箋のメリットは、ラッセル自身の経験と観察によって確かめられたものであり、それによって行動したときには、常にラッセル自身の「幸福」をいや増したというところにあります。

それゆえ、ラッセルがあえて希望したいことは、「幸福」をエンジョイすることなく、「不幸」に苦しんでいる多数の男女の中に、この『幸福論』によって自分の置かれた立場を診断して、そこから逃れる方法を暗示されたと感じる人が少しでもいて欲しいということなのです。

現在不幸な多くの人々も、周到な努力によれば幸福になりうるという信念に基づいて、ラッセルはこの『幸福論』を書いています。

はしがきの最後には、ウォルト・ホイットマンの「ぼく自身の歌」の一節が掲載されています。

ぼくは道を転じて、動物たちとともに暮らせる気がする。
彼らはあんなにおだやかで、自足している。
ぼくは立って、いつまでもいつまでも、彼らを見る。
彼らは、おのれの身分のことでやきもきしたり、めそめそしたりしない。
彼らは、暗やみの中で目ざめたまま罪をくやんで泣いたしない。
彼らは、神への義務を論じたてて、ぼくに吐き気をもよおしたりしない。
一匹だって、不満をいだかず、一匹だって、物欲に狂っているものはいない。
一匹だって、仲間の動物や何千年も前に生きた先祖にひざまずくものはいない。
一匹だって、お上品ぶったり、不幸ぶったりするやつは、広い地球のどこにもいない。

ウォルト・ホイットマンの「ぼく自身の歌」第32歌より引用

このラッセルの『幸福論』は、1930年に書かれたものです。
ラッセルの言う現代とか、現代的とかの表現は、2022年の現在にあっても少しも色褪せることなく現代、現代的なので、そのまま使用することにしました。
また、今回は、安藤貞雄氏訳の「ラッセルの幸福論」を元にさせていただきました。

これ以降は、それぞれの章の概要です。

第一部 不幸の原因

不安

「不幸の原因」では、現代の大部分の男女が苦しんでいる不幸の諸原因が分析されていて、それを逃れる方法が示唆されています。

第一章 何が人々を不幸にするのか

普通の日常的な不幸は、大部分が間違った世界観、間違った道徳観、間違った生活習慣によるものであり、ラッセルの目的は、こういう不幸に対して一つの治療法を提案することにあります。

第二章 バイロン風の不幸

「自身の不幸は宇宙の本質のせいであるとして、不幸こそが教養ある人がとるべき唯一の態度である」とするようなペシミスティックな考えは誤りであり、理性は決して幸福を禁止するものではないことを示しています。

また、不幸を逃れる道は、いたずらに現代を嘆き、過去を懐かしむことにあるのではなくて、もっと勇気を持って現代的なものの見方を受け入れて、もろもろの迷信をその薄暗い場所から引き出して、根絶やしにすることであると言っています。

第三章 競争

幸福の主な原因として、競争に勝つことが強調されすぎており、そのことが不幸の原因になっている。

これに対する治療法は、バランスのとれた人生の理想の中に、健全で静かな楽しみの果たす役割を認めることなのです。

第四章 退屈と興奮

現代人は、退屈を恐れ、興奮を追求している。
幸福な生活は、大部分、多少とも単調な生活に耐えて静かな生活を送ることであり、また、静かな生活こそが偉大な人々の特徴であります。

現代の都市に住んでいる人々が悩んでいる退屈は、彼らが大地の生から切り離されていることと深く関係しているのです。

第五章 疲れ

大部分の現代人は、神経をすり減らすような生活を送っているが、そうした神経の疲れは主に心配に起因しています。
そうした心配は、より良い人生観を持ち、精神の訓練をすることで避けられます。

たとえば、大きな心配ごとを抱えているような場合は、最悪の事態を真剣に考えて、結局、これは大したことにはならないと考えに足りるような理由を見つければいい。
なぜなら、人間に起こることは、何一つ宇宙的な重要性を持っていないからです。

『幸福論』の中で、ラッセルの言う「意識的な思考を無意識の中に植えつける」というテクニックは、とても面白いと思います。
たとえば、相当難しいトピックについて書かなければならないような場合、可能な限りの集中力を持って、数時間ないし数日それについて考え、その後は「この仕事は地下で続けよ!」と無意識に命令する。
何か月か経って、そのトピックに戻ってみると、その仕事は既に終わっている、のだとか。
面白くないですか?

第六章 ねたみ

心配ごとに次いで、ねたみが不幸の最も強力な原因の一つになっています。
自分よりも幸運だと思っている人々との比較をやめるならば、ねたみから逃れることができます。

文明人は、自己を超越することを学び、そうすることで宇宙の自由を獲得しなければならないのです。

第七章 罪の意識

罪の意識は、よい人生の源泉になるどころか、人を不幸にし、劣等感を抱かせ、人間関係において幸福をエンジョイすることができなくさせます。
罪の意識は、伝統的な道徳の命じるがままに、愚かにも自己に注意を集中することから生じるものであり、この意識から解放させるためには調和のとれた性格を作り上げなければなりません。

すなわち、人は自分が理性的に信じることについては、断固たる決意を持っているべきで、例え束の間であれ、不合理な信念に支配されてはならない。(ピューリタニズムの伝統を持たず、従って罪の意識の薄い日本人にとっては、この章の論旨はすれ違いになるかもしれません。)

第八章 被害妄想

この情念は、いつも自分の美点をあまりに誇大視することから生じます。
自己欺瞞に基づく満足は、おしなべて堅実なものではありません。

それゆえに、真実がどんなに不愉快なものであっても、それに直面し、それに慣れ、それに従って自分の生活を築き上げなければならないのです。

第九章 世評に対するおびえ

世評に対する恐れは、他のすべての恐れと同様に、抑圧的で、成長を妨げるものとなります。

この種の恐れが強く残っているときには、真の幸福を成り立たせている精神の自由を獲得することが不可能となるのです。

第二部 幸福をもたらすもの

世界

第十章 幸福はそれでも可能か

幸福の秘訣は、「あなたの興味をできる限り幅広くせよ。そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものではなく、できる限り有効的なものにせよ。」ということだと言っています。

第十一章 熱意

幸福な人を特徴づけるものは、熱意です。
人生に対する熱意があれば、外界への自然な興味が湧き、人生が楽しくなります。

男性にとっても、女性にとっても、熱意こそは幸福と健康の秘訣です。

第十二章 愛情

熱意の欠如の主な原因の一つは、自分は愛されていないという感情です。
愛されているという感情は、何にも増して熱意を促進します。

自我の牢獄を抜け出した人の特徴は、本物の愛情を持ちうることです。しかし、愛情を受け取るだけでは十分ではありません。
受け取られた愛情は、与える愛情を解放しなければなりません。

両者が同量に存在する場合に限って、愛情は最上の可能性を達成することができるのです。

第十三章 家族

両親の子どもに対する愛情と、子どもの両親に対する愛情は、幸福の最大の源になるはずですが、現代ではそうはなってはいません。
現代世界にあって親であることの喜びを満喫することは、子どもの人格に対する尊敬の念を深く感じられる両親にしてはじめて可能になります。

従来、自己犠牲的だと称されている母親は、大多数の場合、我が子に対して異常に利己的です。
何かの専門的な技術を身につけた女性は、例え、母親になっても、自分自身のためにも、社会のためにも、自由にこの技術を行使しつづけるべきです。

第十四章 仕事

建設的な仕事から得られる満足は、人生が与える最大の満足の一つです。
人生を一つの全体として眺める習慣は、知恵と真の道徳のどちらにとっても絶対に必要です。

首尾一貫した目的は、幸福な人生のほとんど不可欠の条件であり、それは主に仕事において具現化されます。

第十五章 私心のない興味

私心のない興味とは、ある人の人生の根底をなしている中心的な興味ではなく、その人の余暇を満たし、真剣な関心事のもたらす緊張を解きほぐしてくれるような興味のことを言います。

不幸なときに、よく耐えるためには、幸福なときに幅広い興味を養っておくことが賢明です。

第十六章 努力とあきらめ

“中庸”というのは面白くない教義ではありますが、多くの事柄において真実の教義です。
“中庸”は、特に努力とあきらめのバランスに関して必要です。
必要な態度は、「人事を尽くして天命を待つ」という態度を言います。

あきらめには、二つの種類があります。一つは絶望に根差すもので、もう一つは不屈の精神に根差すものです。
個人的な目的が人類のための、より大きな希望の一部である場合には、例え挫折したとしても、完全な敗北ではありません。

第十七章 幸福な人

「幸福な人」とは、自分の人格が内部でも分裂してもいませんし、世間とも対立してもいない人のことです。
そのような人は、自分は宇宙の市民だと感じ、宇宙の差し出すスペクタクルと、宇宙が与える喜びとを存分に享受します。

また、自分のあとにくる子孫と自分とは別個の存在だとは感じないので、死を思って悩むこともありません。

このように、生命の流れと深く本能的に結合しているところに、最も大きな歓喜が見いだされるのです。

真実   

まとめ

うつオジサンは、この『幸福論』を「うつ病」の方に読んで欲しいと思いました。

それは、「不幸の原因」に書かれていることが、「うつ病」になってしまった原因に通じるところがあると感じたからです。

また、「うつ病」になってしまったからと言って、「幸福」を諦めるのではなく、追及するものにして欲しいと思ったからです。

是非、ラッセルの『幸福論』を読んでみてくださいね…!


 

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