人は、誰でも「忘れる」ことはあるでしょう。
そして、「忘れる」ことが多くなってきたということは、年を取ったということですね。
うつオジサンも近頃「忘れる」ことが多くなり、ものすごく気になっています。
「物忘れ」と「認知症」の違い…!
最近うつオジサンは、「そのウッカリ、ほっといてはいけませんよ!」…的なCMを見るたびに気になって仕方がありません。
それが、単なる物忘れではなくて、『認知症』の「初期症状」ではないかと心配しているのです。
…というのも、うつオジサンの父親が『認知症』になってしまったのが70歳の頃でした。
また、母親代わりに育ててくれた伯母が認知症になったのが、父親に遅れること3年くらい後でした。
同居していたわけではありませんが、実家に帰るたびに二人の『認知症』が進んでいくことが分かりました。
伯母は亡くなってしまいましたが、父親は元気ではないにしろ生きています。
義理の妹曰く、「お兄さんが帰って来ても、お義父さんはお兄さんのことが分からないと思います。」…とのこと。
そのため、長く実家には帰っていません。
うつオジサンは、その現実を受け入れられないと思うからです。
私事ばかり書いてしまいましたが、『認知症』になるとはどういうことかを実感しているため、人一倍心配なのです。
「物忘れ」は、加齢によって誰にでもあることです。
『認知症』は、脳の機能が低下して日常生活に支障が出ていることを言うのだそうです。
『認知症』には、アルツハイマー型認知症、血管性認知症、レビー小体型認知症などの種類があります。
この中で最も多いのがアルツハイマー型認知症だそうです。
うつオジサンは、お医者さんや研究者ではなくて、ただの「うつ病患者」なのでこれ以上踏み込みませんが、『認知症』は直近のことは忘れても、昔のことは覚えているのだそうです。
うつオジサンにも「あるある」なことなのですね。
う~ん。ますます心配になってきました。
ルーティンの狂い…!
「ルーティン」と聞けば、イチローさんのバッターボックスでの所作を思い出す人が多いのではないでしょうか?
人は、誰でも生活していく中で様々なルーティンを繰り返しています。
イチローさんのように目立たないものかも知れません。
例えばお風呂に入るときにはどちらの足から入るとか、体を洗うときにはどこから洗うとか、そのようなことでも何となく決まったルーティンがあるのではないでしょうか?
うつオジサンは、このルーティンが乱れ始めていることが妙に気になります。
ルーティンが狂うと何か気持ちが悪いですよね。
今までは全然気にしていなくて、意識もしていなかったことが、狂っていると気づいて初めて気持ちが悪いと感じるのです。
テレビ朝日の「相棒」に出てくる「杉下右京」のように「小さなことが気になる。僕の悪い癖。」と同じように、うつオジサンも小さなことが気になるのです。(右京さんのように頭は良くありませんが…。)
例えば、食パンを食べるときは、右手に持って左の奥の角から食べ始めていました。
これは、うつオジサンの数十年に渡ってのルーティンの一つです。
先日、左の奥ではなくて、左の手前から食べ始めていました。その時、ハッとしたのです。
ルーティンが狂っていると…。
何も食パンに限ってのことではありません。
日常生活の色々な場面でルーティンが狂い、気持ち悪さを感じています。
これらは『認知症』へと続いて行く道なのではないのか…。
う~ん、心配だあ!
忘れるということ…!
うつオジサンの父親も伯母も『認知症』になってからの方が本人は幸せのように見えました。
頑固で無口な父親が、鼻歌を歌うようになりました。(伯母の葬儀の最中も最前列で鼻歌を歌っていました。家族としてはひやひやものでしたが…。)
“しかめっつら”ばかりだった伯母は、いつも笑顔になりました。
『認知症』は、ある意味なったもん勝ちです。
家族は大変なのですが…。
先日、同級生と話をする機会がありました。
その同級生も「人の名前が出てこない、物忘れが多くなった。」と言っていました。
うつオジサンやその同級生に限らず、うつオジサンくらいの年齢になると誰でもそうなのでしょう。
「忘れる」が多くなるということは、「老いる」ということの初級の段階なのでしょうね。
これからどんどん「老い」ていくんだよ…というサインなのでしょう。
そろそろ準備をしなさいよ。
「死」はどんどん近づいているんだよ…ってね。
しかし、「忘れる」の中には、違う意味でものすごく必要なことがあります
それは、嫌なこと、嫌いなヤツ、過去の自分、過去の嫌な出来事、etc. ですね。
このようなことは「忘れる」に限りますよ。
「忘れる」ことで、心は穏やかになります。
このようなことは、どんどん「忘れて」くださいね。
もしも、あなたが「うつ病」の中にいるのなら、「嫌なこと」「過去の自分」を忘れてみませんか?
たったの一つでいいのです!