うつオジサンは、心を病んでいます。
そのため、あらゆることを諦めなければなりませんでした。
では、うつオジサンは完全なる「負け組」なのでしょうか?(今日も暗い話です。)
うつオジサンなりに考えてみたいと思います。
競争社会がもたらすもの…!
現代は、過度の競争社会となっています。
それは、国のレベルでもそうですし、国の中でもそうですね。
社会の中で生きていくことは、競争社会の中で生きていくということですね。
競争に勝つと、それに見合うかどうかは別として、何かしら得るものがあります。
それは、勝ったという優越感、また、地位であったり報酬であったり、周りからの評価であったり、色々と得られます。
そのために競争しているわけで、得るものがなければ競争にはなりませんよね。
一方、競争に負けた方はどうでしょう?敗北感を味わったこと以外に、失ったものがあるのでしょうか?
例えば、会社の中の競争で敗北したとしても、多くの場合、職を失うわけではありません。
ちょっとだけ敗北感を我慢すれば、生活していくことに支障はありません。
また、大学受験や就職試験といった競争に負けたとしても、その負けはその後の人生でいくらでも取り戻せます。
うつオジサンは、「うつ病」を発症して、41歳の時初めて入院を体験しました。
その後も「うつ病」を繰り返してしまったので、会社内での競争には早々と参加することさえ諦めていました。
働かせていただけるだけで十分だと…。
しかし、「うつ病」は、うつオジサンが働くことさえ許してくれませんでした。
通常は、過度の競争社会に負けて「うつ病」になることが多いのではないでしょうか?
競争が悪いのではないのです。
競争は、さらなる進歩や成長を促すからです。
問題は、「過度」ということですね。
何でもそうですが、「過度」がいけないのです。
「過度なトレーニング」、「過度なダイエット」、「過度な緊張」など、いい結果にはなりませんよね。
過度の競争社会は、「うつ病」で苦しめる人を増やすことに繋がるのです。
(うつオジサンの私見です。)
うつオジサンは、完全なる負け組なのか?
うつオジサンは、答えから先に言えば、完全なる「負け組」です。
これは、競争社会でのことです。
また、会社生活でのことです。
会社内ので競争では、参加することさえ早々と諦め、働くことさえ諦めざるを得なかったので、完全な負け組以外言いようもありません。
これは、あくまでも過度な競争社会のことであり、完全な人生の負け組ではありません。(今のところ…。)
人生は、人が生きた証です。
うつオジサンにもまだまだ人生があります。
どう転んでいくか分かりません。
転がり落ちるのか、好転していくのか分からないのです。
このように考えるとまだまだ「負け組」ではありませんよね。
「ありません」というか「分かりません」というか、少なくとも好転させるチャンスはあるのです。
自由だけはたっぷりあるのですから…。
『うつオジサンの闘病日誌』のサイト内で、“ new world ” という言葉を使っています。
「うつ病」になってしまったら、思い切ってこの“ new world ”を探そうよ、と書いています。
うつオジサン自身の“ new world ”は、どこにあるとも書いています。
この“ new world ”を探そうとしていることが、人生の完全な負け組ではないことの証明です。
違いますかね?まだまだ見つかりませんが…。
もしも、この“ new world ”を見つけられたら、「うつ病」ともおさらばして、人生の完全な勝ち組になるかも知れませんよ!
勝ったからと言って、他の人から見れば、どうということはありません。
うつオジサンならうつオジサンの、あなたならあなたの人生が有意義であればいい!
…。それが一番いいのです。
それだけでいいのです。