今日は、「疲れ」について考えてみました。
ラッセルの『幸福論』によると、「疲れ」には多くの種類があり、あるものは幸福にとって深刻なじゃまになるものがあるそうです。
疲れには多くの種類があり、あるものは幸福にとって深刻なじゃまになるものがある。
純粋に肉体的な疲れは、過度でなければ、どちらかと言えば幸福の原因になりがちである。
疲れが過度な場合には、由々しい弊害になる。
『幸福論』ラッセル
「幸福」について考える…!
まあ、それはそうですね。
進歩した社会において最も深刻な疲れは、神経の疲れなのです。また、現代生活において神経の疲れからのがれることは、大変難しいのだそうです。
そして、この種の疲れは、金持ちの間で一番目立っていて、賃金労働者の間では、ビジネスマンや頭脳労働者の場合よりもはるかに少ない傾向にあるそうです。
無職のうつオジサンは、いったい何に疲れるのでしょうね?
さてさて、進歩した社会とか現代生活とか書いてありますが、1930年に書かれた本なのです。
この本の中では、日本も中国もやっと工業化されてきた新しい国として書かれています。90年も前に書かれた本だったんですね。
読んでいると一部の言葉使いを除いて、現代に書かれた本と錯覚してしましそうになります。
ラッセルの『幸福論』は、「不幸の原因」と「幸福をもたらすもの」の2部立てで、この中に17の章から成り立っています。
他のアランとヒルティの『幸福論』よりは、非常に読みやすいですよ。
…というか、一番文字が大きいだけなのかも知れません。
この3冊を読み切って、理解することの難しさを感がえると、うつオジサンは疲れてしまいそうです。