うつオジサンは、「社会人」なのだろうか?ふと、そう思いました。
うつオジサンは、引きこもりで、社会とは距離を置いています。
社会人とは…?
「社会人」で検索してみると、まず「実社会で活動する人」「社会の一員としての人」と出てきました。
うつオジサンは、実社会で活動はしていません。
「社会の一員」という言葉の意味は曖昧なので、うつオジサンが一員かどうかはあやふやですね。
「国民健康保険税」と「国民年金保険料」は払っているので、社会の一員と言えるのかも知れません。
しかし、それだけを持って「社会人」と胸を張れるのでしょうか?
この二つは、自分のために支払っているのであって、社会に貢献するものではありません。
「消費税」も自動的に支払っていますが、これも「障害年金」に月額5,030円プラスした形で補填されています。
選挙投票にも、もうずいぶん長く行っていません。選挙権は放棄していますね。
病院に行くことで社会と関わっているようにも思えますが、これまた自分のためです。
「実社会で活動する人」と言われても、うつオジサンは「実社会」ではなく「うつオジサンの部屋の中で活動する人」に過ぎません。
たまに買い物に行きますが、これも自分のため。
うつオジサンは、どちらかと言えば「実社会」ではなくて、「空想社会」で活動している方が多いのです。
これで「社会人」と言えるのでしょうか?
社会人に戻れるか?
うつオジサンは、「社会人」になりたいのでしょうか?いや、「社会人」に戻りたいのでしょうか?
今の生活になって、何年経つのだろう?計算したら3年半でした!
時の経つのは早いものですね。
さて、社会と関わらずに生活していても、ニュースは気になります。スポーツ中継の観戦も欠かせません。
けれども、これらは一方通行の道を歩くがごときものです。
新聞だって毎日読んでいます。新型コロナウィルスの感染者数とスポーツの結果、テレビの番組表くらいですが…。
うつオジサンは、喫煙者です。
タバコは、マンションのベランダで吸っています。
ベランダから見える風景は、まさに「社会」です。
正面には大きな病院があり、右側に大通りがあります。
その大通りとうつオジサンが住んでいるマンションの間には、中央郵便局があって、郵便局の裏の姿も見えます。
毎日、ベランダで煙草を吸いながら、「社会」の動きを観ています。
結構面白いものですよ。
うつオジサンが人と話をするのは、木曜日の「ケタミン治療」の時だけです。
人は、話をしないと言葉を忘れてしまいます。
加齢によるといった類の言葉ではなくて、もっと容易な言葉です。
看護師さんのジョークにも笑顔が作れず、顔が引きつってしまいます。う~ん、怖い、怖い。
やはり何某かの関りを持たないといけないのでしょうか?
でも何の関りにしよう?
うつオジサンは、仕事をしていた頃、パソコンとプロジェクターを持ってプレゼンテーションをしていました。
今考えると怖い、怖い。思い出すだけでも怖い。
その仕事を5年半もしていました。
よくできたもんだ!社会人をしていたんですよね!
思い出してみると、その仕事から会社内の異動で違う仕事になった途端に「うつ病」になってしまったのです。
人前でプレゼンしてた方が良かったのかなあ?
「社会人」になること、いや「社会人」に戻ることは、まだまだムリ!
これには、かなりのリハビリも必要です。
それ以前に、どうやって「社会人」に戻ろうか?戻れるのかなあ?どうしたら戻れるのかなあ?