うつオジサンは、怒(いか)れません。何故だか怒れません。腹が立っても怒れません。
今回の「怒る」ということは、口に出して「怒る」ということです。
「怒っている」という気持ちを相手に伝えることですね。
いつ怒ったのか思い出してみたら、会社で働いていたときまで遡らなければなりません。
人との関わりを持つ…!
先日の診察で主治医に言われたことがあります。それは…、
「人は、何かのグループに入って人と関わらなければいけない。そして、何かしらをしなければならない。孤立していてもうつ病は回復しないよ。原始人のネアンデルタール人はね、言葉を持たなかったから…。」とこんな感じです。
ネアンデルタール人まで出されてもうつオジサンには意味が分かりません。
要するに、引きこもっていてはいけない、他者との関りを持ちなさい…ということでしょうね。
「焦らなくてもいいから…。」といった“但し書き”がつきましたが…。
うつオジサンも関われるものなら関わりたいのです。
それは、主治医が言われるとおりだと思います。
しかし、これは矛盾を含んでいます。
関わるのが先かうつ病が改善するのが先か、「にわとりが先かと卵が先か」の例えと同じ構造なのです。
どちらにせよ、うつオジサンもこのままではいけないと思っています。
さて、人と関わりを持つと、どのような形・大きさなのかは分かりませんが「ストレス」を生み出します。
仕事として人と関われば「仕事・人間関係のストレス」を生み出します。
私的なグループに入って何かの活動をするにしても「人間関係のストレス」を生み出します。
どのような関りを持ったとしても、「ストレス」からは逃れられません。
ほとんどの人にとっては、「ストレスを発散する」術を持っているか、忍耐力の強靭さによって「うつ病」になることはありません。
しかし、うつオジサンなど「ストレス」に弱い体性になってしまった人にとっては「人との関わり」は、心の疲れを増しエネルギーを消耗して、それが新たな「うつ病」を引き寄せてしまうのです。
人との関わりを持つことは、「一人暮らし」の「引きこもり」にとって、何とも難しいことなのです。
うつオジサンは怒れない!
さて、人と関わりを持つと腹が立ち、怒りがこみ上げてくることもままあります。
腹が立てば「怒ればいい」のですが、うつオジサンは怒れません。
例え、相手が悪かったとしても、相手が間違っていたとしてもうつオジサンは怒れません。
ぐっとこらえて、ウソの笑顔をしながら飲み込んでしまうのです。
飲み込んだものは、「怒り」や「憎悪」として、心の中に留まってしまいます。
そして、それらはどんどん積み重なっていきます。
何もむやみやたらに「怒る」ことを奨励しているわけではありません。
腹が立つなら、侮辱されたら「怒れ」ばいいのです。
「怒る」にしても、「優しく怒る」とか「上手に怒る」とかの方法があると思うのです。
実際にそのようなことができる人もいますよね。
それは、よほど度量が大きい人でなければできません。
「怒る」場面というのはいきなりやってきます。
「優しく怒る」とか「上手に怒る」とか、前もって心の準備はできません。
「怒る」のも難しいですね。
「怒る」ということは、得てして悪いことと捉えがちですが、「ストレス」を溜めないことに関しては有効的なことです。
「怒る」ことができないのは、周りの人の目であったり、相手の気持ちであったりを気にし過ぎているからでしょう。
これはいい意味ではありません。
人と関わりを持つと「ストレス」を生み出し、ときには「怒り」の気持ちも生み出してしまいます。
うつオジサンは、どういった形で人との関わりを持てばいいのかを考えていますが、答えはなかなか出ません。
それでも、人との関わりを持って、ときには「怒り」を素直に表して、これからを過ごせていけたらと思います。