「うつ病歴20年目」のオジサンの闘病日誌です!「うつ病」かなって思ったら…!「うつ病」になっちゃったら…!「うつオジサンの闘病日誌」を読んでみてください!何かのヒントになるかもよ!

うつオジサン、『運命』について考える…!

うつオジサンは、『運命』について考えてみました。
なぜ『運命』なの?…と思われる方がいらっしゃるかと思いますが、以前から『運命』について考え書いてみたいと思っていました。
今回も、いつものように思いのままに書いてみます。
(広告もまだ貼っていない「うつオジサンの闘病日誌」です。至らない点はご容赦ください。)

「運命」とは…

♪ジャジャジャジャーン♪ ♪ジャジャジャジャーン♪
ベートーベンの交響曲第5番ハ短調Op.67「運命」:第1楽章ですね。
何のことやら分かりませんが、その「運命」です。
運命と言えば、ベートーベンの「運命」のことを思い浮かべる人の方が多いのかもしれませんね。
広辞苑によると、

「人間の意思にかかわりなく、身の上にめぐって来る吉凶禍福。それをもたらす人間の力を超えた作用。人生は、天の命によって支配されるという思想に基づく。めぐりあわせ。」

広辞苑より引用

…とあります。

この運命について、大学4年のとき、友人5人で飲みながら激論を交わしたことがあります。
 ・「運命は自分の力で切り開いていくもの」=4人
 「自分の力で切り開いたとしてもそれを含めて運命は既に決まっている」=1人(うつオジサン)
…という結果でした。うつオジサンは、若い頃からへそ曲がりだったのですね。
35年も前のことを未だに根に持っているでしょうか?(笑)
激論は、明け方になり眠気には勝てず引き分けだったと記憶しています。
皆さんは、どちらだと思いますか?

うつオジサンの好きな作家に伊坂 幸太郎さんがいます。
伊坂 幸太郎さんの小説に出会ったのが「死神の精度」という本でした。
人間の『死』は、死神が決めるといったお話なのですが、「死神」は、極めて高い精度で人間に『死』を与えます。
しかし、100%ではありません。

うつオジサンは、『運命』と聞くと、この「死神の精度」を思い出してしまいます。

うつオジサンが未だに生きているのは、「死神」の気まぐれによって生かされているのではないかと、とんでもなく愚かなことを思ってしまいます。
これも『運命』なのか…と!

OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

「運命」のいたずら?

うつオジサンは、今でこそ、引きこもりで対人恐怖症なのですが、「うつ病」になった41歳までは、社交的というか確実に社会適応者だったと思います。
女性に対しては、どこまでも積極的かつ諦めの悪いヤツなのでした。
女性に対して興味があったのは、45歳頃まででしょうか?

昨年、うつオジサンがお付き合いした女性の中で、唯一結婚を考えた女性(元カノ)が癌のため亡くなりました。
その時にも「死神の精度」を思い出しました。
「死神」さんは『死』を与える対象を間違えたんじゃないの?…と言いたくなります。

これまで両手の指の数よりも多くの『死』を望んできたうつオジサンではなく、結婚し子供もいて幸せだったと思われるその女性になぜ「死神」さんは『死』を与えたのだろうと思ってしまいます。

「死神」さんは精度が狂ってるんじゃないの?…です。

今のうつオジサンは、家族とも距離を置いているので、たとえ『死』んだとしても、心から悲しむ人は一人もいません。
「死神」さんは、うつオジサンに『死』を与えるべきだったのです。
(思わずうつオジサンの女性関係をばらしてしまいました。)

話は急に変わります。
今年の1月に、BSフジで「令和の法隆寺 千四百年の謎に迫る!聖徳太子からのメッセージ」という番組が放送されました。

その番組を観て、聖徳太子も時代に翻弄された大変な「運命」を辿った人だったのだと感じました。

ある学者の説では、“聖徳太子は実在していなかった”とも言われています。

1,400年も経って、1万円札に描かれたにも関わらず、今さら“聖徳太子は実在していなかった”と言われるとは、聖徳太子も大変な「運命」をしょい込んだものですね。

これらは、運命のいたずらなのではないでしょうか。

これも「運命」…?

うつオジサンが住んでいるところに「特攻慰霊碑」というものがあります。
特攻に出撃された方々の数は分かっていますが、書いてしまうとうつオジサンの居住地がバレてしますので、数百人としておきます。

大東亜戦争(太平洋戦争)末期、特攻隊がいらっしゃったことはご存じだと思います。
過去に、鹿児島県の知覧町(現南九州市)の「特攻の母」鳥濱トメさんと「富屋食堂」、そして特攻に出撃していく隊員との物語が数回映画化されているためか、特攻隊と言えばその知覧の特攻隊が有名です。
実際には、全国各地から特攻隊は飛び立って行ったのです。

鹿児島県の知覧町には、りっぱな知覧特攻平和会館というのがあるらしいのですが、うつオジサンが住んでいるところには、「特攻慰霊碑」がひっそりと立っているだけです。

特攻隊として飛び立っていくときの心境は、いったいどのようなものなのでしょう?
想像するだけでぞっとしますよね。

特攻隊は、形式的には「志願」という形ですが、これはある意味強制された「志願」です。
「うつ病」で苦しくて『死』を選ぶことも言い換えれば「志願」ですね。

しかし、「うつ病」で『死』を選んでしまうこととはまったく違います。
家族や国を守るために特攻を「志願」した人と苦しみから逃れるために『死』を選ぶ人とは、『死』の意義が違わなければならないのです。

また、特攻隊として飛び立って行かれた方と生存者として生き残られた方々の違いは何なのでしょう?
これこそ「死神」の匙加減なのかも知れません。

特攻隊を例に出しましたが、赤紙(軍の召集令状)が届いて、戦争に駆り出された方々の心境も特攻隊として出撃された方と同じなのかも知れません。

特攻隊は「必死」ですが、戦争に駆り出された方々は「必死」ではありません。(「必死」になって戦わなくてはなりませんが…。劣悪な環境下で敵と殺しあわなければならないという点で、当時においてのみ特攻隊の方が楽だったのかも知れませんが…。)
これも「運命」なのでしょうか?
 
世界中では、今なお戦時下にあるところがあります。
うつオジサン達のように平和ボケしていると、現実に起こっていても想像ができませんね。

OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

うつオジサンの「運命」…!

少し暗い話になってしまいました。ごめんなさい。

普通のオジサンが「うつオジサン」になったのも、運命なのでしょうか?
いやいやこれは「必然」でしょう!


さて、問題は、うつオジサンの「運命」がこれからどう展開していくのか?…ですね。

うつオジサンは、大学4年のときに「自分の力で切り開いたとしてもそれを含めて運命は既に決まっている」と考えていたわけですが、不正解だったと思いたいですね。

うつオジサンの「運命」は、もう今さらですね。
このままのんびり過ごせればいいのです。

本当の問題は、皆さんの「運命」ですね。
皆さんは、「運命は自分の力で切り開いていくもの」と信じて進んでください。
そして、うつオジサンのようにならないでくださいね。

もし、あなたが「うつ病」の中にいるのなら、歴史を学んでみてください。
そして想像してください。
歴史には様々なヒントが埋もれています。
(もしも、あなたが歴史に精通しているのなら謝ります。ごめんなさい!)

Steve CrowhurstによるPixabayからの画像
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