うつオジサンが、ねたみについて考えてみました。
心配事に次いで、不幸の最も強力な原因の一つは、おそらくはねたみである。…ねたみは人間の情念の中で最も根深いもののひとつである。
ラッセルの『幸福論』第6章
うつオジサン、「ねたみ」について考える…!
うつオジサンは、生涯出世というものに縁がありませんでした。
刑事もののテレビドラマなどで、同期のだれかが偉くなって、ねたむシーンが描かれることがあります。
何も刑事ものに限ったことではありませんが、うつオジサンが観るドラマは刑事ものに限られるので、刑事ものということで進めさせていただきます。
刑事ドラマの中では、ねたみが元になって、警察官が殺人や証拠隠滅などの罪を犯してしまうことがありますよね。
そして、以外にも、普段はうだつののあがらないしょぼい刑事が、事件を解決して幕を下ろすのです。
ある時から、うつオジサンは、このうだつののあがらないしょぼい刑事さんになろうとしていました。
ちょうど会社の同期が係長になろうとする頃に最初の入院をして、それから数えて5回の入院をしました。
同期が課長になる頃、うつオジサンは未だ平社員だったのです。
そこで、出世の見込みがないうつオジサンは、うだつののあがらないしょぼい刑事さんになろうとしました。
結局、うだつののあがらないしょぼい刑事さんにもなれませんでした。
うだつののあがらないしょぼい刑事には、積み重ねた経験と嗅覚が備わっているのです。
また、そのしょぼい刑事役を演じる俳優さんにも同様に積み重ねた経験があればこそ、演じることができるのです。
何一つ積み重ねがないうつオジサンには、初めからなれるはずもなかったのですね。
しかし、同期が課長になっていても、「ねたみ」といった感情は、不思議と浮かばなかったのですね。
これがうつオジサンに家族がいたりしたら、どういう感情になったのでしょう?
一人暮らしなので、「ねたみ」の感情が浮かばなかったのではないかと思います。
同期で出世した人の中には、うつオジサンを憐れみの目で見たり、同情の目で見たりする人もいました。
まあ、あまり気分がいいものではありませんよね。
ラッセルが言っているように「ねたみ」は、不幸の原因の一つだということに、うつオジサンは何となく感じていました。だからこそ、「ねたみ」の感情を持たずに済んだのだと思います。
これらは、会社を辞めた今だからこそ言えることですね。
今でも働いていたらと思うとゾッとします。