「うつ病歴20年目」のオジサンの闘病日誌です!「うつ病」かなって思ったら…!「うつ病」になっちゃったら…!「うつオジサンの闘病日誌」を読んでみてください!何かのヒントになるかもよ!

「不幸の種」を探さない…!

うつオジサンは、様々な不幸を背負っています。
しかし、それらは背負わざるを得なかった不幸なのでしょうか?
もしかしたら不幸の種を探しまわって、自分自身で背負った不幸なのではないかと考えてみました。

うつオジサンの「不幸」…!

うつオジサンは、自分を「不幸」だと思ってきました。

うつオジサンが不幸だと思っていることを挙げてみましょう。
 ・「うつ病」になってしまい、なかなか完治しない。
 ・「うつ状態」になり、週の半分くらいは寝込んでいる。
 ・「足が痛い痛いオジサン」でもあり、一日中痛みに耐えている。(原因不明)
 ・睡眠時間が十分に取れず、いつも体がダルい。
 ・会社を辞めてしまい、フリーランスの少ない収入しか得られない。
 ・親は認知症で施設に入り、兄弟は遠くに住んでいて疎遠である。
 ・引きこもりになって、友人も離れて行って、孤独である。
 ・生まれながらのブサイクである。音痴である。味覚音痴である。
 ・毎日ギターを弾いているが、目的がないことに疑問を持っている。
 ・オジサンなので老後の心配がある。
 ・ルーティンが崩れることが多くなり、認知症を心配している。
 ・何故そこに行ったのか、何をしようとしていたのか分からないことが多くなった。
 ・このサイトやブログをどうやって進めていいか、いつも悩んでいる。
まあ、ざっと思いつくだけでこのくらいあります。

思い出さないと挙げられないようなことは、それ自体それほど不幸と考えていない証ですね。

うつオジサンが「不幸」だと思っていることを自分なりに分析してみました。
これらの中で本当にどうしようもない「不幸」は、「生まれながらのブサイク」だけだということです。
これにしても、オジサンなので今さらどうということはありません。
このサイトやFacebookなどに顔を出せないくらいのことです。
ブサイク以外のことは、この先自分の努力あるいは他の人の協力を得てどのようにでも変えられます。
ただ、老いていくことの心配は、誰しも感じる、あるいは感じたことですね。

つまり、うつオジサンには本当に「不幸」だと感じることは、何一つ無いのです!

Gerd AltmannによるPixabayからの画像)

うつオジサンの「幸福」…!

それでは、逆に「幸福」だと感じていることを挙げてみましょう。
 ・「うつ状態」で週の半分くらいは寝込んでいるが、週の半分は元気がある。
 ・フリーランスの仕事は、始めたばかりで楽しく感じている。
 ・ギターを弾くことは、あくまで趣味であり、弾いている間は楽しい。
 ・ブサイクではあるが、実年齢よりも若く見られる。ハゲてはいない。
 ・読書によって知識を得ることに喜びを感じる。
 ・うつオジサンとして、オジサンなりに情報発信ができている。
まあ、こんな感じですね。
これらはよく見ると「不幸」に感じていることの裏返しです。
「不幸」の反対語が「幸福」であるように、「不幸」に感じていることを違った見方をしてみると、意外にも「幸福」だったりするのですね。

「老いる」ことについて考えると、うつオジサンは、母親が亡くなった年齢よりも20年以上長く生きています。
母親が感じることさえできなかった、「老いる」ということを体験できるのです。
そう考えると有り難いことですよね。
「老いる」ことでさえ楽しめばいいのではないかと思っています。
これも「幸福」の一つですよね。

うつオジサンの「不幸」は、あなたの「不幸」ほど重たくはないのかも知れません。
でも、ちょっとだけ違った見方をしてみてください。
うつオジサンのように「不幸」が「幸福」に変わるかも知れませんよ。

Виктория БородиноваによるPixabayからの画像)

「不幸の種」を探さない…!

よく飲み屋さんで自分の「不幸」について長々と話したりする人に会うことがあります。
傍から見れば、その内容はたいしたことではありません。
その人は、自分の「不幸」を口にすることで、自分の中の「不幸」と折り合いをつけているのでしょう。

また、「不幸」の種を探して歩いて回るような人もいますよね。
こんな人は「不幸」な自分を演じている方が、他の人から興味を持ってもらえるとでも思っているのでしょうか?
逆に「幸福」を自慢して歩いて回るような人だっています。
こんな人は「不幸」な現実を打ち消したいがために、「幸福」を自慢しているのではないでしょうか?

どちらにしても、このような人達は「幸福」ではないはずです。

「不幸」は、思わなければ「不幸」ではありません。
また、思い出さなければ「不幸」ではありません。

何も自分で「不幸の種を探す」ことなどないのです。
“ありのまま”の自分、“ありのまま”現実を受け入れて、愚直なまでに素直に生きることが「幸福」なのだ!
…と、うつオジサンは思う次第です。

(ただし、愛する人を亡くしたり、希望を絶たれて絶望の淵に立っているような人の「不幸」は、時間の経過による解決しか手立てはありません。)

もしも、あなたが「うつ病」の中にいるのなら、“ありのまま”の自分でいてください。
決して「不幸」などではありません。

Shah Zairul AzmiによるPixabayからの画像)
蜂
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