うつオジサンは、記事を読み直して気づきました。
なぜ上から目線なのか、何と良いことばかりを並べたてているのだろう…と。
うつオジサンは、ただの「うつ病患者」であり『うつオジサンの闘病日誌』を書いているということを忘れていました。うつオジサンは、うつ病歴16年目の「うつ病患者」でしかありません。
うつ病16年目のベテランであったとしても、上から目線で話をしていいとか、何かを書いてもいいということではありません。
しかも、「うつ病」という全容が解明されていないことに触れているのです。
多少は勉強をしたとは言え、学者でさえ全容が分かっていないことを偉そうに書いてしまい恥ずかしい限りです。
また、きれいごとばかりを書いてしまいました。
これまた恥ずかしい限りです。
例えば、「やさしさ」だとか「嫌いな人を作らない」だとか…。
うつオジサンの「心」の「表」と「裏」…!
うつオジサンの心の裏側には、1mgほどのやさしさもありません。
表向きは「やさしい人」を演じていますが、心の裏ではどこまでも「腹黒いオジサン」なのです。
表向きの「やさしい人」にしても、「嫌われたくない」ことの裏返しに過ぎません。
現実的には、一人暮らしの引きこもりなので、誰かと話をすることもなく「嫌われたくない」という心配は必要ないのですが…。
また、「嫌いな人を作らない」と書いていても、嫌いなものは実にたくさんあります。
うつオジサンが、この世の中で一番嫌いなものは「読売ジャイアンツ」です。
ホームページの中でも書きましたが「読売ジャイアンツがなくなるのなら地球が滅んでもいいぞ!」と本気で思っています。
「読売ジャイアンツ」の誰が嫌いというわけではありません。
実際に「読売ジャイアンツ」から移籍した選手をまったく嫌ってはいません。
「読売」系列が嫌いなのでしょう。
なので日テレ系は当然嫌いですね。(番組はよく観ますが…。)
Jリーグで言えば「鹿島アントラーズ」、「浦和レッズ」、「東京ヴェルディ」です。これらも誰が嫌いと言うわけではありません。
「高校野球」も嫌いです。
「高校野球」は注目され過ぎているからです。
「高校野球」は全試合テレビ放送されますよね。
サッカーをしていたうつオジサンからすれば、「高校野球」だけ特別扱いされることに腹が立つのでしょう。
おまけに、うつオジサンは「阪神タイガース」ファンなので、高校野球があると甲子園球場を明け渡さなければならなくからでしょう。
俳優・芸人・タレントなど芸能人と呼ばれる人を挙げれば切りがありません。
もっとも、俳優に関しては、その役柄が嫌いなのであって、その人自身を知らないので、役柄が変わると「いい人じゃん」ってなることもあります。
世界の大国(2国のみ)の大統領や総書記(総書記ってどこかバレますね。)、独裁国家の指導者(某国指導者の妹を含む。)なども大嫌いです。
これについては、皆さんからも賛同していただけるのではないでしょうか?
ここ2年程の日本国の2トップも嫌いです。
森友問題からでしょう。(これも思いっきりバレますね。)
食べ物で言えば「えび」ですね。
大学に入るまでは、魚介類は一切食べらず、ラーメン・うどんでさえ食べられなかったほど好き嫌いがありました。
大学時代はお金がなく、バイトの賄いで出せれたものを食べるしかなかったため、好き嫌いはほとんどなくなりましたが、「えび」だけはいまだに食べられません。
エビフライの臭いがするだけで気持ち悪くなります。
この世の中で一番嫌いなものは「読売ジャイアンツ」だと書きましたが、本当に一番嫌いなものがありました。
うつオジサン自身です。
「心」の中に「表」と「裏」がある自分自身が一番嫌いなのです。
その他の理由も多々ありますが…。(これは何度も書いてきましたね。)
『禅』の本を読んで、裏の心を静めるように心がけてはいますが、心を静めることなどゼンゼンできません。
(『禅』だけに…。)
心の中は、雑念や欲の雲で覆われています。
まるで台風や梅雨時の雲のように、分厚い雲で幾重にも覆われまくっています。
このような心がうつオジサンの現実です。書きながら、自分が嫌になってきます。
「心」の「表」と「裏」…!
実際に他の誰かになったことがないので分かりませんが、うつオジサンほどに表と裏があるものなのでしょうか?
心は実態がないものなので、比べようもありません。
ただ、「表裏一体」という言葉があるように、誰の心にも表と裏があり、それは一体なのでしょう。
うつオジサンは、“ゆず”さんのファンです。
“ゆず”さんの作品の中に「表裏一体」という曲があります。
この歌詞にヒントがあるように思えます。
朝をむさぼり 夜を吐き出し 生かんとする 我が性
作詞・作曲 北川悠仁・岩沢厚治・前山田健一 2013 プロデュース by ゆず
沸き立つ この感情は 白か黒か
目指す未来と置いてけぼりにしてきた過去
ねじれながらぐるぐると つながっている
過ぎゆく螺旋に身を細めて
不思議な夢から 身を乗り出した
表裏一体 指ではじくコインが宙に舞う
僕はいったい どっちの結末 願う
表裏一体 光り輝くほど 濃くなる影
ならば どこへと向かってゆく
重なった二つの未来
…、う~ん、なかなか意味深い歌詞です。
表が裏であったり、裏が表であったり、どちらが出るか分からない。
どちらも自分の心なのだと認めるしかないのでしょう。
うつオジサンが「表」だと思っていた「やさしい人」が「裏」で、「腹黒いオジサン」が「表」なのかもしれません。
または、「やさしい人」だと思っていた「表」が、実は余計なお節介だったり、「腹黒いオジサン」と思っていた「裏」が実は「やさしさ」の表れであったりするのかも知れませんよね。
そして、そんな思いは、誰もが一度は夢想する人間の宿命なのかも知れません。
やはり、誰の心にも「表」と「裏」があって「表裏一体」なのだと思いたいですね。
後は、どっちの結末を願うのか?
どこへ向かってゆくのか?…ですね。