「うつ病歴20年目」のオジサンの闘病日誌です!「うつ病」かなって思ったら…!「うつ病」になっちゃったら…!「うつオジサンの闘病日誌」を読んでみてください!何かのヒントになるかもよ!

人格は変わるのか?

今日は、「ケタミン治療」を受けてきました。
その病院で、とても似つかわしくない人に会いました。
その人について書いてみます。

うつオジサンに罵声を浴びせた人…!

うつオジサンは、会社で働いていたとき、5回の「入院」とたくさんの「有給休暇」、そしてたくさんの「病気休暇」を取らせていただきました。
休みが増えるごとに、うつオジサンに浴びせられる罵声は増えて行きました。
それらの中には思い出したくもない言葉もたくさんあります。
それは仕方がないことです。
例え病気であっても、何度も仕事を休むうつオジサンが悪いのですから。

うつオジサンに罵声を浴びせるような人は、きっと「心」が冷たい人たちだと思っていました。
そして、そのような人は、きっと「うつ病」にはならないのだと思ってきました。

今日、病院であった人は、その中の一人でした。
会社は、もうずいぶん前に定年退職していたので、久しぶりの再会でした。
会社で働いていた頃、その人は、年下の人に対して、名前は呼び捨てにしていました。
また、何でも上から目線で物を言う人でした。
(本人は、親しみを込めて名前を呼び捨てにしていたのかも知れませんが…。)

病院で会ったのですが、話はしていません。
最初は、きっと誰かの付き添いだろうと思いました。
しかし「うつ病患者」特有の顔つきをしていたのです。
ずっと気になって見ていましたが、一人で会計をしていたので、本人が患者だったのでしょう。

何か信じられませんでした。

人格は変わるのか?

タイトルからすると「人格」とは、何ぞや…ってことになりますね。
「人格」とは、「その人個人の人間性であったり人柄」といったことだと思います。
(検索結果をどこまでも広く広く解釈しました。)
 
その人は、何があっても動じないような人でした。
例えば、奥さんや子どもさんを亡くされたとしても、動じない、そんな人だと思っていました。

何があったのだろうと思ってしまいましたが、うつオジサンが考えたところで何かの役に立つわけでもありません。
しかし、気にはなりますよね。
あの「うつ病患者」特有の顔つきを見てしまうと、うつオジサンの心の方が動じてしまいました。
情けないことに、目が合わなくて良かったと思ってしまいました。

人の「人格」というものは、あそこまで変わってしまうものなのでしょうか?
(あそこまでと言われても分かりませんね。)
何か上手い例えはないかと考えてみましたが、なかなか見つかりません。
強いて言うなら、虎が借りてきた猫になったとでも言うのでしょうか?

うつオジサンのどこまでも弱気な人格(あるいは性格)は、ずっと変わりませんが…。
(ずっと借りてきた猫のまんまです。)

もしかすると、人は誰だって弱いもの。
誰だって「うつ病」になりえるのかも知れません。
「うつ病」の恐ろしさを改めて感じました。

うつオジサンに罵声を浴びせかけた、その人はもういないのかも知れません。

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」、“諸行無常”なのですね。

apontesocial0によるPixabayからの画像)
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