うつオジサンは、「良心の欠片」について考えてみました。
それは、自らが罪を犯していると錯覚しているからです。
「うつオジサンの罪」…!
うつオジサンは、その名の通り「うつ病」のオジサンです。
悪いことをしているわけではありませんが、心のどこかで「罪」を感じています。
それは、「うつ病」で人並みに働けないこと、社会貢献ができないこと、他者の非難ばかりしてしまうこと、…などから生まれてくるのでしょう。
また、「うつ病」になってしまった自分自身を、いつまでもどこまでも自分自身で追い詰めて、追い込んでいくのです。
うつオジサンは、自分自身を追い詰めることで、犯罪を犯した人とある種同様な「罪」を感じてしまうのかも知れません。
犯罪を繰り返すような人にだって、「罪」を償うことは何度でもできます。
しかし、うつオジサンの感じている「罪」は償いようがありません。「罪」を犯していないのですから。
「うつ病」になってしまったことが「罪」と言うならば、うつオジサンにはもうお手上げです。生涯、この「罪」を背負って生きていかなければなりません。
うつ病歴17年目ともなると、「うつ病」が治ることを期待することすらできなくなります。
外出して知り合いに会うと、顔を背けられます。気のせいかも知れませんが…。
また、「うつ病」の人だと後ろ指を指されているような気もします。
そうなると、自分の部屋から出られなくなって、引きこもりになるのですね。
実際は、うつオジサンのことなど誰一人気にもしていないのに…。
「良心の欠片」…!
今日も「うつ状態」で、自責の念に苛まれています。
犯してもいない「自分の罪」に苛まれるのです。
今日の午前中、友人から昼食のお誘いがありました。しかし、体調不良で断ってしまいました。
友人に嫌な思いをさせてしまったと、自分を責めています。
まるで、その友人を刃物で傷つけてしまったかのような「罪」を感じるのです。
きっと、その友人は気にもしていないでしょう。いつものことですから。
こんな日は、ベッドで寝込んでいるか、ソファーで丸まって過ごしています。
その時には必ずテレビを観ているか、音楽を聴いています。
最近は、よく再放送の2時間ドラマを観ています。犯人は分かっているのに…。
2回目に観る2時間ドラマは、1回目とは違った感覚をもたらしてくれることがあります。
犯人も、ドラマの結末も分かっているのに、何故か感動してしまうのです。
恥ずかしながら「涙」を流してしまうことだってあります。
うつオジサンが思う「良心の欠片」こそ、この「涙」ではないかと思っています。
「涙」を流せるなら、まだ「良心の欠片」が残っていると思えるのです。
そうすると、多少なりとも「罪」の意識が軽くなります。
また、歌詞を思い浮かべながら、曲を聴くと「涙」が流れることがあります。
うつオジサンは、そんな曲が好きです。
うつオジサンの「良心の欠片」を感じるからなのかも知れません。
もしも、あなたがうつ病の中にいるのなら、思いっきり「涙」を流してみてはどうでしょう?
悲しい「涙」じゃいけませんよ!