うつオジサンは、「うつ病」と「偏見」について考えてみました。
「うつ病」に対する「偏見」は、未だ残っていると思ったからです。
残っているのではなくて「うつ病」に対して、あまりにも「無知」なのです。
「うつ病」と「偏見」について…!
うつオジサンが考える「うつ病」に対する「偏見」とは、普通の人とはちょっと違った人と見られてしまう、ちょっとだけ悪い感情を持たれてしまう、あるいは明確な嫌悪感を持たれてしまう、…などのように考えています。
しかし、「偏見」は「差別」とは異なり、攻撃の対象ではないと思っています。
例えば、「差別メーター」というものがあるとしましょう。
その「差別メーター」が180度まで動くと「完全なる差別」になります。180度なので、まったく逆側になりますね。
「うつ病」に対する「偏見」は、この「差別メーター」がちょっとだけ動いた状態、10度や20度、あるいは人によって40度や50度くらいメーターが振られた状態だと、うつオジサンは考えています。
「差別」は、攻撃の対象として見られることが多くの場合に見られます。
現在でも、世界のあちらこちらで「差別」による攻撃が行われていますよね。
「差別」は、人種とか宗教、性別、出身の国や地域、貧富の格差、その他の様々な理由によってもたらされます。
うつオジサンたちが住む “日本” においては、幸いにして「差別」を感じることは少ないのではないでしょうか?
若者たちを見ていると、逆に「自由」過ぎて、危機感が薄れているようにも思えます。
これは将来的に大変な心配を覚えますが、その頃、うつオジサンはあの世に行っているのでどうでもいいことではありますが…。
しかし、多くの場面で「偏見」は存在しているように感じます。
うつオジサンは、うつ病歴が17年もあるので「うつ病」に対する「偏見」を数多く感じてきました。
例えば、それは「私はうつ病です。」と言ったときの相手の人の表情で分かります。
その相手の人は、一瞬無口になり、戸惑い、「ん、ん…!」って表情になることで「偏見を持たれたな…!」と感じるのです。
そんなとき、「差別メーター」が動いたと感じます。
しかし、うつオジサンとしばらく話をすることで、「差別メーター」は「ゼロ」に戻ります。
つまり、「偏見」は「無知」がもたらすのです。
その相手の人は、「うつ病」に対して「無知」だったのですね。
それでも「差別メーター」は動く…!
我らが日本では、「差別」は少ないとは言え、「部落」などの「差別」問題は残っています。
しかし、「日本人」は、宗教には無頓着で、例えば家としては仏教徒だとしても、クリスマスを祝い、初詣に神社に行き、バレンタインデーにチョコを贈り、エイプリルフールでウソをつき、ハロウィンで仮装をしてバカ騒ぎをして、彼女から「綺麗なウェディングドレスを着て、こんな素敵な教会で結婚式をしたいわ!」とせがまれると教会で結婚式を挙げて、身内の誰かが亡くなると神妙な仏教徒に戻ってお寺でお葬式をする。
こんな民族は、きっと「日本人」だけでしょう。神道の家の方もまた然りでしょう。
これは、“平和の証” かも知れませんね。
これらは、大東亜戦争の敗戦により、すっかりアメリカナイズされたことが一番の要因ですが、うつオジサンは、明治維新後の「廃仏毀釈」が浸透されなかった「日本人の心」がその根源に染み込んでいたのだと思っています。
人種も「日本人」は「日本人」でしかなく、「日本人」以外は「外人」でしかありません。
過去には、アイヌ民族や琉球民族、隼人族、熊襲族、などなどがいたはずですが、みんな純潔な「日本人」になっちゃったみたいですね。(現在は観光的な意味合いでそのような恰好をされることがあります。)
おっと、話しが反れてしまいました。
「うつ病」と「偏見」のお話しでした。
うつオジサンは、毎週木曜日に「ケタミン治療」を受けるために精神科の病院に行きます。
毎週木曜日には、うつオジサンの「うつ病」の症状である「うつ状態」や「無気力」になることがありません。
精神科の病院なので、患者さんは「うつ病」や「精神疾患」の方々ばかりです。
なので、うつオジサンは病院に行くとホッとするのかも知れません。
そこ(精神科の病院)に「偏見」は存在しないのですね。
なので、「差別メーター」はいつも「ゼロ」です。
そのような状態で、主治医の診察を受けるのですから、主治医に正確な診断ができるのだろうかと、うつオジサンはいつもそのように心配してしまいます。
今現在も「うつ病」による「偏見」に悩まされていらっしゃる方々がいらっしゃると思います。
そんな方々も病院に行くとホッとした気分になられるのではないでしょうか?
もちろん、行きたくもない病院や嫌いな主治医だったら、ホッとすることはないでしょうが…。
「コロナ禍」で新型コロナに感染された方も「偏見」の目で見られると聞きます。
「コロナ禍」は、きっともうすぐ過ぎ去っていくことでしょう。
しかし、「うつ病」は、これからもなくなることはありません。
そして、「うつ病」による「偏見」は、理解することでしか解決できません。
「うつ病」であること自体、本人にとってはツラいのです。
それを「偏見」の目で見られてしまうと、治るものも治りません。
また、「うつ病患者」の「差別メーター」は、非常にデリケートに作られています。
なので、「偏見」を敏感に感じ取り 「差別メーター」が動きます。
「うつ病患者」の「差別メーター」がピクリとも動かないような世の中になればいいのですが…。
いや、そうなって欲しいと心から願ううつオジサンなのでありました。