「うつ病歴21年目」のオジサンの闘病日誌です!「うつ病」かなって思ったら…!「うつ病」になっちゃったら…!「うつオジサンの闘病日誌」を読んでみてください!何かのヒントになるかもよ!

うつオジサンは、新年にあたり『うつオジサンの闘病日誌』を顧みてみようと思います…!

新年あけましておめでとうございます。
「うつ病」という“病”で苦しんでおられる方々やそのご家族にとりまして、良き一年となりますようご祈念申し上げます。
この『うつオジサンの闘病日誌』がその一助ととなれるように心を新たにした次第であります。
そのため、新年にあたり『うつオジサンの闘病日誌』を顧みてみようと思います。

うつオジサンは、新年にあたり『うつオジサンの闘病日誌』を顧みようと思いました…!

うつオジサンは、「うつ病」です。
そうなのですから仕方がありません。

最初の頃、病院の診断書に「うつ病」と書かれることに異常なほどの抵抗がありました。
今やもう“うつ病歴18年目”のベテランになってしまいました。

周囲から何の病気かと聞かれても、堂々と「うつ病です。」と答えるようになりました。
これは、職場復帰という“足枷(あしかせ)”が外れたために他なりません。

なぜ、最初の頃、診断書に「うつ病」と書かれることに異常なほど抵抗があったのか?

それは、やはり「うつ病」に対する職場の雰囲気と言うか、認識や対応を知っていたからだろうと思っています。

流行りと言ってしまえば大変に失礼なことだと思いますが、平成7年頃からうつオジサンが働いていた会社では毎年と言っていいほど「自殺者」が出ていました。

他の会社との合併の話が流れ始めた頃には、うつオジサンが働いていた会社とは合併したくないという噂が流れていました。
それは、「自殺者が多いため」という理由も聞きました。
それほど「自殺者」が多かったのです。
その理由は知る由もなかったのですが…。

うつオジサン自身も「うつ病」から復職した人とはあまり関わり合いたくないと思っていましたし、“偏見”の目で彼らを見ていたように思います。

「うつ病」=「自殺志願者」、あるいは「うつ病患者」=「変人」とでも言うような、“偏見”と“差別”に満ちた空気が職場にまん延していたことを覚えています。

うつオジサンは、それらのことがあって、診断書に「うつ病」と書かれることに異常なほどの抵抗がありましたし、決して少なくはないショックを受けたのも事実です。

うつ病

「うつオジサン」になるまでの「前段」…!

上記のようなこともあって、うつオジサンが働いていた会社では「メンタルヘルス」に力を入れていました。
しかし、この「メンタルヘルス」なるものの研修は、うつオジサンたちにとっては逆効果の何物でもなかったように思います。
「うつ病患者」への“偏見”の増幅と「再発」への引き金にしかなっていなかったのようでした。

一度「うつ病」の烙印を押されると、そこから這い上がるのは至難の業のように思えました。

うつオジサンは、何度も何度も入院と復職を繰り返しました。
2回目、3回目ともなるともう“腫れ物”にでも触るようにしか扱われませんでした。
そして、復職しても周りから“楽だと思われている部署”にしか配属されません。

確かに、過労が元で「うつ病」になった人であれば、“楽だと思われている部署”に配属させることは効果があることに間違いはありません。

ノート

うつオジサンは、「リワーク制度(お試し出勤制度)」を受けて、万全の体制で復職したのです。
人並みの仕事を与えて欲しかったのですが、そうはなりませんでした。

それこそが、うつオジサンが「再発」を繰り返した一因であることもまた間違いはありません。

うつオジサンは、仕事が好きか嫌いかで言えば、好きな方だと思います。
特に忙しくて何から手をつけていいのかさえも分からない状況が好きでした。

そこから、まず、仕事に優先順位をつけて、期限と作業量を考えて、一種のランナーズハイとでも言うような状態で一つ一つ仕事をこなしていく。
そして、それらすべての仕事を終わらせたときの、あの何とも言えない達成感は最高でした。

そういう意味で、うつオジサンを楽な、暇な部署に配属させたのは逆効果だったのではないかと思うのです。
最も、人事担当者にしてみれば「あいつはまた病気が再発するかも知れない。」と思うと、重要な部署や忙しい部署に配属させることなどできないことは、うつオジサンも十分に理解はできましたし、うつオジサンが逆の立場であったらそうすると思います。

しかしながら、「うつ病」から抜け出し、しっかりと仕事を続けている社員もいました。

しっかりと仕事に戻れる人と、うつオジサンのように「うつ病」の再発を繰り返す人との違いはどこにあるのでしょうね。

悪

さらに言えば、「うつ病」を患い、『死』を選ぶ人と『生』きながらえる人との分水嶺はどこにあるのでしょうね。

うつオジサン自身も『死』というものが、幾度となく目の前にちらついた時期もありました。
しかし、こうやって恥ずかしげもなく生きながらえています。

それぞれに「心」を病んでしまう理由は異なりますし、大小という言葉で片づけていいのか分かりませんが、そのような違いがあるのかも知れませんね。

うつオジサンの場合には、幸いにもいつも顕著な「不眠」という症状から「うつ病」が始まるために、病院に行くことができました。
しかし、いわゆる“うつ”の状態にいきなり落ち込んでしまった場合には、病院に行くことよりも、その状況を抜け出すための唯一の手段である『死』を選んでしまう気持ちは、うつオジサンにも分かるような気がします。(本人の思い込みかも?ですが…。)

うつ病“うつ”の状態になると、欝々とした気持ちに心の中が支配されて、本当にツラくて苦しい。
何とも言い表せないツラさですし、苦しさですからね。

その苦しさは、きっと「うつ病」になったことがある人にしか分からないのでしょうね。

 

 

 

もう一つ別の側面もあります。

相変わらず「うつ病」は、楽をするための“逃げ”だと思っている人が多いのも確かです。
仕事を休むための口実くらいにしか思っていないのです。

ずいぶん前の新聞広告に、「黒医」(久坂部羊氏著)という本が紹介されていました。
【「心の病で働かないヤツは屑」と言われる社会。「命の重さなど、空気と同じだ」、「医者も医療も信じてはいけない?」】等々、本の紹介広告がありました。
もちろん、読む気などさらさらありません。
ただ、新聞の下部に10冊ほど紹介されている本の中で、「心の病で働かないヤツは屑」という小さな小さな文字にだけ目が留まったのは何故なんでしょうね?

うつオジサンの深層心理の中にも“引け目”のようなものがあるのでしょうか?

うつオジサンは、これまでに「心の病で働かないヤツは屑」的なたくさんの罵声を浴びせられてきました。
「お前は、何度も何度も休んでいい加減にしろよ!」
「俺は、お前のように仕事を休む人間が一番嫌いだ!」
「今日、お前が仕事に出て来なければ、お前を切ろうと思っていた!」
…などなど、枚挙に暇がありません。

もちろん、うつオジサンとて仕事を休みたくて休んでいるわけではなかったのですけどね。

それでも、うつオジサンは自分がしてきた仕事に誇りを持っていました。
その誇りがあったために、例えどのような罵声を浴びせられようが、たくさんの有休も活用させてもらいましたし、長期休職をしても復職を目指してきました。

うつオジサンは、会社からはそれなりに評価されていたと思っていましたし、他の人よりも多くの実績も作ったつもりでした。

人

しかし、最初に「うつ病」と診断されて以降、その評価はどんどん急降下していきました。

その後、会社が合併して大きくなってからは、うつオジサンの居場所など会社の中のどこにもありませんでした。
合併した会社の中を、知らない人たちが横行闊歩している。
合併したのですから当然なのですが、うつオジサンにはそれが我慢なりませんでした。

これも「うつ病」の再発を繰り返す結果となった一因だと思っています。(上記の罵声を浴びせてきた人の多くが合併した会社の人たちでした。)

さてさて、散々と「うつ病」についての思いを書きまくってきましたが、これらはすべて“負け犬の遠吠え”に他なりません。
こんなうつオジサンのために、このときのためにできたような言葉ですね。
“負け犬の遠吠え”…!

そうなのです。
うつオジサンは、完璧なまでの“負け犬”なのです。
いや、完璧なまでの“負け豚”でしょうか?(体重100Kgですからね。)

それに対する異論はまったくありません。
“負け豚”に異論があろうはずもありません。

しかしながら、うつオジサンには大いなる自由があります。
そうFreeなのであります。
今のうつオジサンにとっては、大いなる妙薬であることに間違いはありません。
(年齢的にFreeな時間は、そう長くはないかも知れませんが…!)

ここまでは、「うつオジサン」に至るまでの経緯であり、いわゆる「前段」です。

『うつオジサンの闘病日誌』…!

さて、本題の『うつオジサンの闘病日誌』に入りましょう。

うつオジサンは、週の半分は何もできず、ベッドかソファーに寝そべっています。
一日中寝そべっていても、お腹は空きますし、タバコも吸いたくなります。
「何もできない。」と言いながら、食べることとタバコを吸うことはできる、随分と身勝手な「何もできない。」なのです。

時

うつオジサンの一日は、午前0時に眠りにつくところから始まります。
23時に追加眠剤のNO.3を飲んで、1時間ほどすると1度目の眠りにつきます。
「寝坊したんじゃないか?」とパッと目が覚めます。
長年の一人暮らしのためか、未だに遅刻が気になるみたいです。
しかし、時計を見るとまだ午前1時。
あまりにもパッと目が覚めるので、そこからまた寝付けない。

それから1、2時間するとまた眠りに落ちる。
また「寝坊したんじゃないか?」とパッと目が覚めると、まだ午前3時。
それから1、2時間するとまた眠りに落ちる。
それを2、3回繰り返して朝を迎えます。

寝付けない時間に何をしているかと言うと、You Tubeで音楽を聴いています。
You Tube Premiumにしていたので朝まで広告や途中で止まることもなく、ずっと流れたままです。(当時です。)
最近は何故か「The Beatles」を聴いているのですが、「Let It Be 」が流れると目が覚めてしまいます。この理由は後述します。

最近は、その日の朝、その日が「何もできない。」日なのか、元気な日なのかが分かるようになってきました。
毎朝、目覚めてまず行うことは、朝のタバコの1本を吸うことです。

その日が「何もできない。」日であれば、タバコを吸いながら、何も考えられずただ俯いています。
元気な日は、今日は何をしなければいけないか、何をしようかと考えながらタバコを吸っています。
当たり前と言えばそれまでですが…。

朝食は、どちらの日でも納豆卵かけご飯が定番です。
元気な日であれば、そこにサラダが付いたり、みそ汁が付いたり、焼き魚が付いたりすることだってあります。

パソコン

朝目覚めて、タバコを吸って、それからリビングのテレビをつけます。チャンネルはBS1です。
「何もできない。」日は、ずっとBS1のままです。特に観ているわけではありません。
きっと静寂が嫌なんでしょう。一人暮らしの静寂は、やはり淋しいものです。

慣れてはいても淋しいものは淋しいのです。
ニュースであれ、なんであれ、人が話している声が聞こえるのは、やはり安心できますよね。

…と言って、誰かと話がしたいわけではありません。孤独に、自由に暮らしたい。
うつオジサンは、孤独が好きと言いながら淋しかったりもする、本当に身勝手なオジサンなのです。
自分のことながら、本当に呆れてしまいます。

「何もできない。」日は、以前であれば、「何か改善できる方策はないか?」とか、「元気を取り戻す方法はないか?」とか、あれこれ考えて、余計に神経をすり減らし、精神的に追い込まれていったのですが、今では抗わないようにしています。

「何もできない。」日は、どう足掻いてみたところで「何もできない。」のです。
食事ができて、タバコが吸えればいいじゃないか?
確かに食事も取れないほど「何もできない。」日もたまにはありますが…。

「うつ病」は、“欝々した気分”に胸の中が支配されてツラいことはツラい。
“欝々した気分”に押しつぶされそうになりそうな日もあります。
だからこそ“欝々した気分”に抗わずに、そっとベッドかソファーに寝そべって、その日をやり過ごすのです。
何も考えず、見てもいないテレビ(BS1)をつけっ放しにして、ただその日をやり過ごす。

“欝々した気分”に抗わないことで、うつオジサンはだいぶ救われてきたように思っています。

ベッド

「うつ病」は、“欝々した気分”に胸の中が支配されてツラいことはツラい。
“欝々した気分”に押しつぶされそうになりそうな日もあります。
だからこそ“欝々した気分”に抗わずに、そっとベッドかソファーに寝そべって、その日をやり過ごすのです。
何も考えず、見てもいないテレビ(BS1)をつけっ放しにして、ただその日をやり過ごす。

 

“欝々した気分”に抗わないことで、うつオジサンはだいぶ救われてきたように思っています。

問題は、「何もできない。」日ではない日、つまり元気がある日です。

実に手持無沙汰なのです。
何をしていいかが分からない。
元気がある日なのですから、何でもすればよいではないか?
「何もできない」日よりも一日が長く感じる。
実に手持無沙汰なのです。

趣味のアコースティックギターを弾くにしても、たかだか1時間程度です。
読書にしても同様。
買い物に出掛ければ出かけるほど財布が軽くなってしまう。
散歩はどうかと言えば、散歩に出かければ必ずと言っていいほど、辞めてしまった会社の元同僚に出会ってしまう。(会社のすぐ近くに住んでいたので…。)
現況を聞かれるのですが、何度も同じことを説明するのも面倒くさい。

それならばと、新しい仕事を探そうとパソコンに向かうのですが、これまた1時間程度で疲れ果ててしまう。
実に困ったものなのです。

それならば、新しい趣味を始めようと思い立ち、ロールピアノ(88鍵盤)と安いピアノ(49鍵盤)を買って練習してみるのですが指が動かない。
それはそうでしょう。始めて触るようなものなのですから。

英語ここで「The Beatles」の「Let It Be」が登場するのです。
「Let It Be」を一所懸命に練習しているためか、眠れぬ夜に「The Beatles」を聴いていて眠りについても、「Let It Be」が流れると条件反射で目が覚めてしまうのです。
「Let It Be」は、うつオジサンの心の中の何かに触るのでしょうか。

例えば、これが他の誰かの曲を聴いていたとしても、結果は同じことなのでしょう。
現在は、「Let It Be」にただ反応しているに過ぎません。
これがうつオジサンの好きな“あいみょん”にしても“C&K”にしても、“長渕剛”にしても、“ゆず”にしても、“コブクロ”にしても結果は同じになるはずでしょう。

数千円の88鍵盤のロールピアノと49鍵盤ピアノとは言え、買ってしまったからには結果は出してやろうじゃないか!…と、うつオジサンは思っています。
88鍵盤のロールピアノを持って、飲み屋のお姉ちゃんたちに披露してやる!
まあ、ピアノの練習にしても1時間もすると飽きてしまうのですから、披露するのはいつになるかは全く分かりません。
もちろん、「Let It Be」の歌の練習もしなければならないので、実際に披露できるかは非常に微妙なのではあります。

「何もできない。」日ではない日、つまり元気がある日は、元気があるだけに困ってしまうのです。
実に手持無沙汰なのです。
うつオジサンの元気な日の苦労が少しは分かって頂けたでしょうか?

さて、うつオジサンの最近の“心の中”を覗いてみましょう。
本物のオジサンになった証拠なのでしょうか、昔のことが妙に思い出されるのです。

うつオジサンは、過去に2人の「死」に関わってしまったと思い込み、そして悩んできました。
もうずいぶんと前のことですが、最近妙に思い出されてならないのです。

ここで、“あいみょん”の“生きていたんだなあ”という曲を紹介します。
(ほとんどセリフですが…。)

二日前このへんで、飛び降り自殺した人のニュースが流れてきた
血まみれセーラー 濡れ衣センコー
たちまちここらはネットの餌食

「危ないですから離れてください」 そのセリフが集合の合図なのにな
馬鹿騒ぎした奴らがアホみたいに撮りまくった
冷たいアスファルトに流れるあの血の何とも言えない 赤さが綺麗で綺麗で

泣いてしまったんだ 泣いてしまったんだ 何にも知らないブラウン管の外側で

生きて生きて生きて生きて生きて 生きて生きて生きてきたんだよなあ
最後のサヨナラは他の誰でもなく 自分に叫んだんだろう

彼女が最後に流した涙 生きた証しの赤い血は
何にも知らない大人たちに
二秒で拭き取られてしまう

立ち入り禁止の黄色いテープ 「ドラマでしか見たことなーい」
そんな言葉が飛び交う中で いま彼女は何を思ってるんだろう 遠くで 遠くで

泣きたくなったんだ 泣きたくなったんだ 長いはずの一日がもう終わる

生きて生きて生きて生きて生きて 生きて生きて生きてきたんだよなあ
新しい何かが始まる時 消えたくなっちゃうのかなあ

「今ある命を精一杯生きなさい」なんて 綺麗ごとだな
精一杯勇気を振り絞って 彼女は空を飛んだ

鳥になって 雲をつかんで 風になって 遥か遠くへ 希望を抱いて飛んだ

生きて生きて生きて生きて生きて 生きて生きて生きてきたんだよなあ
新しい何かが始まる時 消えたくなっちゃうのかなあ

生きて生きて生きて生きて生きて 生きて生きて生きてきたんだよなあ
最後のサヨナラは他の誰でもなく 自分に叫んだんだろう

サヨナラ サヨナラ

作詞、作曲、歌:あいみょん

この曲を始めて聞いた時、うつオジサンは何だこれ?って思いました。
そこで歌詞を見てみました。
うつオジサンは、“泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて 泣いて泣いて泣いてしまったんだよな”なのでありました。
前述のとおり、ずいぶんと涙腺も緩くなっているようです。

2人の「死」に関わっていると思い込んでいるせいか、心に染みてしまいました。
(2人の「死」に関わっているのは思い込みではなくて、実際に一因にはなっているようです。数人の友人にこっそりと聞いてみたので…。)

2人の「死」の関わりについては、墓場まで持っていこうと思っています。

「何もできない。」日ではない、つまり元気な日は暇を持て余し、このようなことばかりを考えているのです。もちろん、ギターも弾きますし、ピアノの練習もしますし、読書もしますし、買い物にも行きます。
しかし、これらだけでは一日が持たないのであります。
変なことばかりを考えてしまう。
前向きな思考回路は働かないのです。

『うつオジサンの闘病日誌』について改めて思う…!

ここまで、思いついたことを書いてきましたが、パソコンを打つ手が止まってしまいました。

ここまで書いてきたことは果たして真実なのか?

「何もできない。」日と元気な日。そうではあるまい。
「その日の朝、その日が「何もできない。」日なのか、元気な日なのかが分かるようになってきた。」…これも違う。明らかな虚言です。
「元気な日なのだから、何でもすればよいではないか。」これにしても、きっと違う。

うつオジサンは、「うつオジサン」なのです。
24
時間、365日、「うつオジサン」なのです。

何もできない日と元気な日ではなくて、何もできない時間帯と元気な時間帯があるが正しい表現でしょう。
朝は俯いていても、午後からは元気な日もある。また、その逆もある。夕方から俯くことだってある。

元気な時間なのだから何かをしなければならないわけではありません。
元気な時間でもベッドやソファーに寝そべっていることもあります。

逆に俯きながら病院に行くことだってあります。
うつオジサンは一人暮らしなので、俯きながらも買い物に行かなければなりませんしね。

病院に行くと、主治医に状況を聞かれるので、「週の半分くらいは寝込んでいます。」と毎回答えています。
カウンセラーに書かされている「習慣活動記録表」は、週の半分くらい気分の部分の帳尻を合わせているに過ぎません。
やはり、24時間、365日、「うつオジサン」なのです。

ここ3、4年の間で、安楽な日が一日でもあったろうか?
心から楽しかった瞬間が一瞬でもあったろうか?
いつも、丹田の辺りに、重たくて、黒々とした得体の知れない何かを感じてきたのではないのか?

主治医に処方される抗うつ薬のおかげで、辛うじて「死」を「生」に転換されている。
選択的セロトニン再取り込み阻害剤によって、セロトニンが伝達されて「死」を少しだけ遠ざけてくれている。
それだけで生きているようにさえ思えます。

24時間、365日、「うつオジサン」の抜本的解決策は、未だ一つも見つかりません。
これまでの主治医や臨床心理士から、あれをしてみたらどうか、これをしてみたらどうかと教科書的なご提案を頂いてきましたが、きっとそのようなもので解決できるようなものではありません。

サッカー

 

 

仕事が忙しくて、何から手を付けていいのか分からないときの不安感と期待感、あるいはそれらの仕事をランナーズハイ的な状態で仕事を終わらせたときの達成感や安堵感といった感覚、フルマラソンで足が攣りながらも完走したときの感覚、サッカーの試合で70mダッシュしてゴール前に戻り失点を防いで、チームメートやベンチから「サンキュー」と言われたときの感覚をもう一度味わいたい…と書いているうちに、そういうことでもないような気がしてきます。

 

 

 

丹田の辺りの、重たくて、黒々とした得体の知れない何かを感じたままの生活にはいい加減“おさらば”したいのです。
得体の知れない何かがなくなれば、スッキリして、即座に「うつ病」が完治する。
きっとそんな単純なことだったりするのかも知れません。
ただ、得体が知れないので解決策も見つからないのですけどね。

2人の「死」に関わっていることが原因ではないかと思われるかも知れませんが、うつオジサンが殺したわけでもありませんし、引き金を引いたわけではありません。
「死」につながる一因となったことに間違いはありませんが、うつオジサンの中では既に消化されていますし、もうとっくに時効が過ぎていてもいい頃でしょう。
きっとあれが彼らの運命だったのでしょう。
ただ、最近妙に思い出されるってことです。

「うつオジサンの闘病生活」は、毎日がこの程度のものです。
「何もできない。」時間は、思考経路を停止させ、ただひたすら寝そべっていて、元気があるときには、超マイナス思考で、あれこれと超マイナスな方向へと物事を考えているのです。

「うつオジサンの闘病生活」は、毎日がこの繰り返しの日々です。

24時間、365日「うつオジサン」の苦悩が、少しはお分かりいただけたでしょうか?

24時間、365日「うつオジサン」の丹田の辺りの、重たくて、黒々とした得体の知れない何かが、いつの日か消えてなくなることを祈りつつ、今回は終わりとさせて頂きます。

『うつオジサンの闘病日誌』について、長々と書いてみました。
もしも、この拙い文章を最後まで読んでくださった方がいらっしゃったとしたら、心から御礼申し上げます。
ありがとうございました。

「うつ病」で苦しんでおられる方々、またそのご家族の方々にとって、良き一年となりますよう心よりご祈念申し上げます。

2022年 元旦

富士山
富士山の朝日

 ※ 今回は、ずいぶん前に書いたものをリライトしたものであり、現在のうつオジサンの状況とは多少異なっている部分も含まれています。(引っ越しをして実家に戻ったとか…。一人暮らしでなくなったとか…。「うつ病」の部分は変わらずです。)

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