うつオジサンは、意外にも多趣味なのです。
ただし、週の半分くらいは「うつ状態」でベッドの上で寝ているか、ソファーの上で丸まっています。
週の半分の元気な日、元気な時間しか趣味を楽しむことはできないのですが…。
多趣味はいいことか?
誰かの『幸福論』の中で、多趣味であることはいいことだと書かれていたと記憶しています。
それは、一つのことがダメになったとしても、次のことがあるという理由からでした。
一つしか趣味がない人は、その趣味ができなくなってしまったら、その人は、ただただ手持無沙汰な時間を過さなければならなくなるからです。
この意見には賛成です。
しかし、全面的に賛成と言うわけではありません。
一つしか趣味がない人は、そのことに費やす時間が必然的に多くなります。
そして、その趣味は時間の経過とともに幅や奥行きを広げて、プロフェッショナルとまでは言えないまでも、かなりそれに近い技術や知識を得ることになります。
多趣味な人の場合、そのことに費やす時間が分散され、かなりの割合で自分一人の趣味として留まってしまいます。
それが多数の人と行うことであっても…。
それは、あくまでも趣味なので好きなことをたくさんできる点においては、実に有意義だと思います。
ただ、人前で披露するとか展示するとかの領域まで手が届かない場合が多いのではないでしょうか?
「一芸に秀でる者は、多芸に通ず」という諺があります。
一芸に秀でた人は、そこに到達するまでの過程を知っています。
そのため、方向を変えて他のことを行っても、そのことに通じるように過程を組み立てることができるのではないでしょうか?
また、「多芸は、無芸」という諺もあります。
やたらと手を出しても、自分の実にはならないとでも言うことなのでしょうか?
そういう意味では、多趣味はいいことではないように思われます。
誰かの『幸福論』の中で書かれていた「多趣味はいいこと。」については、少し疑問に思えてきます。
後者の「多芸は、無芸」は、まさにうつオジサンのことです。
うつオジサンの多趣味
「多芸は、無芸」は、うつオジサンのためにあるような言葉です。
「うつ病」になってからは、趣味もだいぶ少なくなってしまいました。
それでも、アコスティックギターに始まり、音楽鑑賞に読書、ブログにピアノ、Jリーグやプロ野球の観戦くらいはあるでしょうか。(趣味が減ったのは、単に年齢的なこともありますが…。)
「うつ病」になる前には、この中からブログとピアノを抜いて、サッカー、野球、バレーボール、ソフトボール、フルマラソン、ゴルフを加えたようなことを趣味としてやっていました。
大忙しでした。ホントに…。
しかし、何一つ「芸」にも「実」にもなってはいないのです。
趣味なので、「芸」でなくてもいいと割り切れれば事は簡単なのです。
楽しめればいいのですから。
しかし、少しだけ淋しさを覚えます。
なぜ、今回このようなことを書くことになったかと言えば、中学時代の友人が、小さなホールか何かで定期的にコンサートをしているのだそうで、うつオジサンにも出ないかというお誘いがあったからです。
あったではなくて、今でもあるのです。
Facebookで写真を見ましたが、いい感じの「ちょい悪親父」になっているようです。
うつオジサンが音痴だということを知らないのかなあ?
うつオジサンは、アコスティックギターなら負けません。
しかし、ルックスと歌では遠く及びません。
アコスティックギターにしても、人前では手が震えて弾けないので、負けてしまいますね。
完全に不戦敗です。
もし、うつオジサンがずっとアコスティックギターと歌の練習に集中していたら…と、仮定のことを思ってしまいました。
菅官房長官ではないですが「仮定のことにはお答えできません。」、その通りです。
結論としては、お好きな方を選んでください!ですね。
他人がどうこう言えることではないようです。
うつオジサンとしては、サッカーとアコスティックギターだけにしておけば良かったかな?
…と、ほんの少し後悔しています。
うつオジサンは、眠れぬ夜に色々と考えたり、空想したり妄想したりして過ごしています。
今日の明け方に考えたのがこのことでした。
「仮定のことを考える。」くらいなら眠らせてほしいのですが…。(病的な妄想ではありませんよ。)
でも、色々考えたり、空想したり妄想したりするのも楽しいものですよ!
長い長い夜を過ごすためにもね!