「うつ病歴20年目」のオジサンの闘病日誌です!「うつ病」かなって思ったら…!「うつ病」になっちゃったら…!「うつオジサンの闘病日誌」を読んでみてください!何かのヒントになるかもよ!

うつオジサンの 「before」「 after」… !

うつオジサンが「うつ病」になる前となってからの 「before」「 after」 についてお話します。
うつ病は、うつオジサンから実に多くのものを奪ったのです。
さらに、うつオジサンが失ったもの、うつオジサンを苦しめているものをまとめてみました。

うつ病になる前のオジサン(before)

うつオジサンは、40歳の時に不眠と頭痛に悩まされ、通院をしていました。
41歳で始めての入院を経験し、そこでうつ病と診断されました。
この時がまさに人生の節目だったのかもしれません。

うつオジサンは、会社に入ってから、会社内のサークルの多くに入っていました。
サッカー部、野球部、ソフトボール部、バレーボール部などです。
サッカー部は、40歳を過ぎても20歳代を差し置いて先発出場してました。
ソフトボール部では、30歳代に8年間監督をしていました。(サインも出してましたよ。)
ある夏のこと、土曜日にバレーボールの試合があり遠征していたのですが、夜には帰って来て、日曜日の午前中に野球の試合に出場し、午後からはサッカーの試合にも出場したことがありました。
フルマラソンも5年連続で完走しました。

自慢をしたいわけではありません。
このくらいアクティブなオジサンだったと言いたいのです。

仕事でも、30代の5年間は、パソコンとプロジェクターを持って、あちこちでプレゼンテーションをしていました。

他には、Jリーグの開幕戦を10年連続で観戦にも行きましたし、長渕 剛さんのコンサートも10年連続で行きました。
どこまで元気だったのでしょう。

うつ病になってからのオジサン(after)

さて、うつ病になった41歳からのオジサンはどうでしょう。

スポーツは何一つできず、元気があれば散歩をするくらいでした。
うつ病が再発しては入院し、回復したら会社へ復帰するといったことを繰り返し、最終的には仕事も失ってしまいました。
友人は、ほとんど会社関係だったので、会社を辞めてからはまったく連絡がありません。
せっかく買ったマンションも手放してしまいました。

アクティブなオジサンは、もうどこにもいません。
自分を嫌い、人と接することが苦手になり、「引きこもり」になってしまいました。
 
何にも興味が持てず、眠れるかどうかが一番の関心事です。
テレビを一日中つけていますが、チャンネルを変える気力もありません。

増えたものと言えば、薬の種類だけです。

最近になって、週の半分くらいは元気が出てきましたが、染みついたネガティブな感情は抜けません。

うつオジサンが失ったもの…!

うつオジサンが失ったもの、それらがうつオジサンに戻ってくることはありません。

うつオジサンがこれまでに失ってしまった中で、一番大切なものは何かを考えてみました。
例えば、健康、仕事、友人などもそうでしょう。気力や体力、精神力だってそうでしょう。
どれが一番なのかは分かりませんね。
しかし、これらは誰でもいつかは失うものです。
また、元気になれば、得られるものです。
失ったものを嘆いても仕方がありません。
あるものに感謝するしかないのですね。

それでは、何がうつオジサンを苦しめているのでしょう?

うつオジサンを苦しめるもの…!

うつオジサンを苦しめているもの、それは「自分を嫌う自分」がいるということです。

うつオジサンは、幼い頃から自分が好きではありませんでした。
しかし、成長するにつれて、仕事やスポーツのおかげで忘れかけていました。
それがうつ病により「自分を嫌う自分」が顕在化されたのです。

 自己蔑視の原因は、基本的には「ありのままの自分が愛されなかったこと」である。
 親が愛する能力がなかったばかりに愛されなかった場合もある。それなのに「自分は愛されない人間だ」と思い込む。
 こうして錯覚して、今この時にも自殺をしようと思っている人がいる。それほど自分を嫌いな人もいる。

加藤 諦三氏 著 「自分を嫌うな」 発行元 三笠書房

この文章は、うつオジサンにとって実に的を得ていると思います。
実際に親から愛されなかったわけではありません。
しかし、歪な家族構成が一因ではないかとも思うのです。
うつオジサンは、心の中から「自分を嫌う自分」を追い出さなくてはなりません。
そうしなければ、うつオジサンは死ぬまでの期間をただ無為に過ごすことになるのでしょう。

「before」「after」 から続く 「future」 を有意義なものにしたいものです。

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