「うつ病歴20年目」のオジサンの闘病日誌です!「うつ病」かなって思ったら…!「うつ病」になっちゃったら…!「うつオジサンの闘病日誌」を読んでみてください!何かのヒントになるかもよ!

「夢のお話」 第48話 ~本社出向3年目~

私は、眠れない夜を過ごし、明け方に眠りについた時に夢を見ます。
その夢の中には面白い物が多く、一人で味わうのが勿体ないと思っています。
そこで、このブログで紹介しています。

今回のタイトルは、「本社出向3年目」です。

僕は平凡な26歳の会社員です。名前は生田峻祐。

ここ2年間は東京の本社へ出向しています。我が社では本社への出向は通常1年間です。

僕の場合、何が幸いしてか災いしてか。2年目の出向が終わろうとしています。

そして久しぶりに支社へ戻り、挨拶周りをしていました。

そこへ支社長からの呼び出しが入っているという連絡がありました。

僕はきっと新しい部署の内示があるのだろうと思い、支社長室へ向かいました。

支社長室のドアをノックすると、秘書の「ハイ」という声がしてドアが開きました。

秘書の「どうぞ」という声と手での誘導で、支社長の席の向かいに立ちました。

支社長は立ち上がると、机の横に置いてあった1枚の書類を手にすると、おもむろに読み始めました。まるで、長い長い文章を読むかのように。

「生田峻祐 東京本社への出向を命じる」と言って、書類の方向をこちら側へ向けました。

僕は「ハイ」と答えながら、その書類を受け取りました。

すると支社長は、「東京が3年目になるけれどもしっかりと頑張ってください。」と言いました。僕が「出向は通常1年ではないのでしょうか?」と尋ねると、支社長は、「通常はそうなんだけれども、本社からの直接の辞令なんだ。理由は私にも分かりません。生田君が東京で頑張っている証ではないでしょうか?」と少し笑顔になって言いました。

僕は「ありがとうございます。」と言うと支社長室を後にしました。

「本社出向3年目かあ!」と思うと、何だか複雑な心境です。

普通なら喜ぶべきことなのでしょうが、僕には大きな裏がある気がしました。

なんてったって、東京本社では大した仕事なんてしていないからです。

僕の東京での主な仕事は、本社に出張などでやってくる各支社長はじめ、支社のお偉いさん方の接待です。それを褒められたとしても、あまりうれしくありません。むしろ、そういう人たちの裏の顔を見ることも多く、とてもツラく感じることもあるのです。

それに僕は色々な支社の裏事情を知る立場になっていました。本社で同じ仕事をしていれば、その裏事情を暴露される心配が少ないと考える人もいるのではないかと思ったのも事実です。そのための本社出向3年目ではないかと感じました。

中にはヤバい話もたくさん聞いていましたから。

そんな微妙な気持ちで東京へ向かいました。

東京に着くとまた支社の人たちとたくさん会うことになりました。

それが仕事どころではないほど…。いや、それが東京でのお仕事なのです。

すぐに出向2年目のときの状態に戻りました。

そんなとき私が働いていた支社から茶谷さんという先輩が上京してきました。

茶谷先輩は、支社で働いていたときに、一緒にサッカーをしていた仲の良い先輩です。

茶谷先輩が本社での仕事を終えるのを待って新宿で飲むことにしました。

茶谷先輩は東京の大学を卒業していて、東京での色々な遊びをご存じでした。私は本社出向3年目の憂鬱を忘れて、茶谷先輩と新宿の街で色々なお店で遊びました。

次の日には、僕の嫌な思いの半分くらいは消えてくれていました。

茶谷先輩は、もう一日時間が取れたそうで、その日もまた色々な遊びをすることにしました。

茶谷先輩は、昨夜、私の変化、周囲の変化に気づいていたそうで、茶谷先輩から話を振ってくれました。「何か気になることがあるんじゃない?」かと…。

そこで、本社出向3年目の憂鬱について話を聞いてもらうことにしました。

話しを聞いた茶谷先輩は、「それが本当ならマジで気を付けた方が良いかも知れない。気のせいかも知れないけど、実は昨日から後を付けられてる気がしてたんだ。それで納得できた。」らしいです。

茶谷先輩と僕は、浅草から川下りをしてお台場まで東京クルーズすることにしました。

船着き場でクルーズ船を待とうとしていたとき、口の辺りに何かを当てられたと思った瞬間に意識を失いました。意識を失いながらも茶谷先輩も倒れていく様子が瞼に浮かんでいました。(このような方法で即座に意識を失わせることは現実的には不可能なのだそうです。何分夢のお話なのでお許しください。)

しばらくして気が付いたとき、茶谷先輩は既に気が付いていて、目で合図をしてくれました。

その合図は、「今は、じっとしていろ」だと思い、気絶した振りをしていました。

周囲に意識を集中すると、少なくとも3人の男がいることが分かりました。

お台場よりもだいぶ遠くまで来ているようです。

「もしかしたら、こいつらは僕たちを殺そうとしているのか?そうでなければ、こんなところまでボートで来るはずがない。」と思い、再び茶谷先輩に合図を求めると、まだ「じっとしていろ」のようでした。

海ほたるを越えて、横浜も越えて、横須賀を越えた辺りで、どこかの港にモーターボートは接岸しました。

茶谷先輩は少し合図を変えました。「ここで行くぞ」の合図のようです。

茶谷先輩とは長く一緒にサッカーをしてきたので、アイコンタクトができたのでしょう。

僕たちは口に何かの薬品を含ませたハンカチか何かで意識を失っただけで、特に腕や足を縛るなどの拘束はされていませんでした。そこで、茶谷先輩は、「ここでいくぞ」の合図の後に足を少し動かしました。「走る」ということなのでしょうか?

私が「は・し・る?」という口の形をすると、茶谷先輩は軽く頷きました。

そして、同じように口の形で「し・ろ・う・と!」にしました。確かに、気絶させてそのままというのは如何にも素人っぽい。

それに茶谷先輩と僕は2人ともサッカー部のフォワードで足が速いのです。

薄眼で見た革靴にスーツ姿をしたヤツらに負けるはずがありません。

私が頷くと、茶谷先輩は薄目でモーターボートが完全に接岸したのを確かめてから、「3」という数字を指で示してから「0でGO」を指と口の形で伝えてきました。

僕が頷くと、茶谷先輩はカウントダウンを始めました。

「3・2・1・0」で2人とも立ち上がり、スーツ姿の男たちを手で押し倒しながらモーターボートから飛び降りると、ひたすら走りました。

もう走れないと言うところまで走ると、茶谷先輩は、「今度はモーターボートを奪いに行こう!」としっかりした口調で言うと、走ってきた道ではない別の道を折り返しで再び港まで走りました。

僕は走りながら「ヤツらは僕たちを探しに出たはず。モーターボートを奪うのは良いアイディアだ」と茶谷先輩の考えに感心しながら走りました。

港に着くと案の定モーターボートには誰もいないようでした。

それに、あっという間の出来事だったのでキーはつけたままのはず。

そして茶谷先輩と僕はモーターボートに乗り込んで北上を開始しました。

これでヤツらは追ってこられません。

茶谷先輩は、モーターボートの運転の仕方まで、あの状況で認識していたんだ。

さすが茶谷先輩。尊敬するサッカー部のエース。

東京に戻ると、茶谷先輩は、「きっといつも通り仕事をしていても大丈夫だと思うよ。今度は生田だけでなく俺がジョーカー役になるはずだから。」と言いました。

さすが茶谷先輩。尊敬するサッカー部のエース。

その翌日、茶谷先輩を羽田空港まで送ると、空港でまた別の支社の人と会いました。

こうして東京本社出向3年目が始まりました。

茶谷先輩が言うとおり、今のところ普段通り仕事してても大丈夫のようです。

私が見た夢はここまでです。

うつオジサンの「夢のお話」の中でも痛快な夢の部類に入る夢でした。

何かの本で読んだのですが、手刀の一撃で気絶させるとかハンカチに薬品を染み込ませて一瞬で気絶させるとかは現実的ではないのだそうです。

私はテレビドラマをよく見るので少しガッカリですが、よくよく考えるとその通りだと思います。

今回は、夢で見た通りに書いたのでご容赦ください。

これを知っていれば、このようなことを夢で見なくなるのでしょうか?

しかし、そもそもうつオジサンの「夢のお話」の中には死神やら魔女やら宇宙人やらが登場するので何でもアリなのですが…。

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