アドラーは、人生には「仕事」、「交友」、「愛」という3つのタスク(小さな単位の作業)が存在すると言いました。これらは、すべて対人関係に直結していますが、対人関係とは必ずしも理想通りにいくものではなくて、さまざまな障壁が立ちはだかっているもの。
そんな困難なタスクを、アドラーはどのように解決しようと考えたのでしょうか?
【人生をより豊かにする方法…!】
うつオジサンは、「一人暮らし」の「引きこもり」の「うつ病患者」です。
そんなうつオジサンと対極的なところにある3つのタスク(「仕事」「交友」「愛」)ですが、うつオジサンだって「人生を豊かにしたい」と思っています。
アドラーは、そんなうつオジサンにいったい何を教えてくれるのでしょう!
【生きるうえでの指標となる、人生の3つのタスクとは…?】
アドラーは、人生には直面しなければならない“3つのタスク”があると説いています。それは、次の3つです。
① 仕事のタスク
② 交友のタスク
③ 愛のタスク
これらはライフタスクと呼ばれ、誰もが人生を歩んでいく中で避けられない要素であり、さまざまな場面において自分なりの対処が迫られるものです。
また、どのタスクが自分にとって課題となっているかを自覚することで、人生の指標にもなります。
“3つのタスク”のほかにも、
④ セルフタスク
⑤ スピリチュアルタスク
…という2つのタスクがあります。
セルフタスクは、その名のとおり自分自身との付き合いを指し、自分自身を受け入れるタスクをいいます。
スピリチュアルタスクは、自然や神仏、宇宙と心をつなげることを指し、その交流を通して人生の意味を考えるタスクのことです。
どちらも現代のアドラー心理学が追加したタスクになります。
【3つのタスク①「仕事」のタスク…!】
仕事といってもお金を稼ぐことだけを指すものではなく、社会で与えられたそれぞれの役割と言えるのかも知れません。
例えば、専業主婦であれば、家事や育児、学生であれば勉強、未就学児であれば遊ぶことも含まれ、日々を営むうえで行っている生産的な活動すべてを指します。
他にも、選挙など政治に関わること、法律に従うことなど、社会的責任を伴うことも、この概念に含まれます。
仕事のタスクは、社会の中で生きていくうえでの義務に近いタスクなので、それ自体が直接的に他人と関わることを求められているわけではありません。
つまり、他のタスクと比べると他人との距離が遠い分だけ解決も容易になります。
逆に言えば、仕事のタスクをこなせないときは深い問題を抱えている場合が多いのです。
そうなると、当然他のタスクをこなすことも難しくなるでしょう。
【3つのタスク②「交友」のタスク…!】
交友のタスクとは、その名のとおり、他人とどのように付き合うかというタスクを指します。
交友と言うものの、それは友人関係だけではなく、職場の上司や部下、ご近所付き合いなども含まれます。
他人との付き合い、人間関係全般を指すといえるでしょう。
他人を思いやる気持ちが必要とされることから、仕事のタスクよりも難易度は高いとされ、苦手な方も多いタスクとなります。
交友のタスクが上手くいっているということは、すなわち他人との相互の尊敬・信頼・協力がきちんとできていることを表しています。
一方で、上手く交友のタスクをこなせていそうで、実はそうではないケースもあります。
例えば、非行少年グループは非行という目的意識でつながっていて、相互尊敬がない関係性の場合もあるでしょう。
それでは価値がないと思ったらすぐに関係は途切れてしまいます。
【3つのタスク③「愛」のタスク…!】
愛のタスクには異性関係と家族関係の2つがあります。
これらはそれぞれ別々に単体のものと考えるのではなく、合わせて1つのものと捉えましょう。
パートナーとの交際や性的な関係、結婚生活、そして自分の性の役割や性に関する価値観を考えることも、このタスクに含まれます。
3つのタスクのうち、最も難易度が高いタスクになります。
交友のタスク以上に深い関係性やコミュニケーション、密な協力を必要とし、極端に近い距離感で人と付き合うことから、愛のタスクには大きな勇気が必要になります。
また、現代では多様な価値観が存在していて、外に表れる形もさまざまです。
ただし、どんな関係でも相手を支配しようとするような関係性では、愛のタスクを達成しているとはいえません。
【「共同体感覚」は、3つのタスク達成に必要不可欠…!】
上記の3つのタスクに向き合ううえで最も重要なのが、「共同体感覚」を構築することです。
仕事であれ、職場やご近所との付き合いであれ、家族や恋人との信頼関係の構築であれ、共同体感覚の構築ができていれば、それらのタスクに向き合うことができます。
そして、タスク達成に向けて歩を進めていくことができるのです。
自分は共同体の一員であるという所属感は、人をリラックスさせます。
また、自分はその共同体のために役立つことができるという貢献感は、相互尊敬を築きやすい状態にあります。
そして同様に、共同体もまた私のために役立ってくれると相互信頼が生まれるのです。
3つのタスクは、この共同体感覚がもたらすものによって達成に近づけられると考えられています。
【自他に勇気づけを与えることの大切さ…!】
共同体感覚の構築に必要なのが、「勇気づけ」です。
アドラーは、「人生の諸問題に取り組む我々の気分は、次のような確信にまとめられよう。問題行動を起こす子どもたち、犯罪者、神経症者、アルコール依存症者などは、勇気をくじかれているからこそ共同体感覚も欠如しているのである。」と言いました。
自分自身を勇気づけることはもちろん、他人に対する勇気くじきをやめて、他人に対しても勇気づけをしていくことが大切になります。
こうした習慣が身についていれば、自分と周りの人間は共同体感覚を構築することができるのです。
つまり、すべての人が幸せに生きていくことができ、誰もが人生をより豊かにしていくことができる可能性があるということです。
【夫婦間の勇気づけは、口調や言葉遣いにヒントが…!】
夫婦間の愛のタスクと向き合うとき、問題はたくさんあるのでは…?
例えば、会社では夫が管理職でも、家庭内では妻が管理職かも知れません。
ケンカが続いてしまう場合は、家庭内の管理職である妻が夫に対して勇気づけを行えば解決できるでしょう。
自己憐憫(じこれんびん:自分を可哀そうに思うこと)やパートナーに勝つといった思考は排除して、「仲良く協力的な態度を取るんだ」と、恥を覚悟で決心してみるときっと良い方向に進むでしょう。
夫婦間において、パートナーが言うことを聞いてくれなくて憤りが溜まるといった問題も多いのでは…?
対策としては、命令口調をやめてみることが有効です。
「…してください」「…してちょうだい」も命令口調といえますから、無意識に悪気なく命令口調を使っている人は多いでしょう。
「…してもらってもいいかな?」などと疑問形を使ったり、「…してくれたらうれしい」と気持ちを伝えるのも有効ですよ。
【浮気されても感情的になってはいけない理由…!】
夫婦間の問題で最もナイーブなものの一つに浮気があります。
浮気をされた側は、傷ついたとしても浮気したパートナーに対して感情的になってはいけないのだとか。
悪いのは相手なのに、なぜこちらが我慢しなければならないのか不満に思ってしまうかも知れません。
しかし、心根は相手に愛されたいと思っているあなたが相手を傷つけても、相手があなたを愛する可能性は極めて低いのでは…?
自分の感情を否定し抑え込めという主旨ではなく、感情的な態度を相手の前で取るべきではないということです。
建設的な会話こそが、問題解決や改善につながる最も有効なアプローチだからです。
ただし、浮気したこと自体は夫婦間のある種の契約に反した行為なのですから、相手にペナルティを科して、その中身をどのようにするかを話し合うことは、建設的なやり取りといえるでしょう。
【「ラッキー」と「ハッピー」の違いとは…?】
日本語に直すと「幸運」「幸福」と字面は似ていますが、「ラッキー」と「ハッピー」は異なります。
当り前に見えて、とかく混同してしまいがちになるものです。
例えば、宝くじに当選したら幸福を感じるかも知れませんが、それは単なる「幸運」。
自分自身によってつかみ取ったものではなく、たまたま転がり込んできたものです。
それでは不幸も運任せになってしまいますから、本質は似て非なるものです。
自分自身の日々の心がけによってつかみ取ったものが幸福だとすると、やはり人は変化し、そして変わり続ける環境に対して能動的なアプローチをし続ける存在といえます。
それがない状態、つまり、完全に安定していて完全に幸せな状態であるというのは、真の幸せと言えるのかはあやしいものです。
日々の変化の中にこそ幸福があるのだと言えるのでしょう。
【人間に最も必要なことは、どこかに所属している感覚です…!】
自分のことを好きでいられるためには、「私は役に立てる人間である」と感じていなければなりません。
そして、その役に立つ相手は他者、すなわち世界であるため、世界を愛していなければなりません。
つまり、「自己受容」と「他者信頼」と「貢献感」は切り離せない、ひとつのものといえるのです。
自分と他者=世界を愛する気持ちは常にリンクしています。
それほどまでに自意識は他者や世界と密接であり関連しています。
人間の最も根源的な本能とは、所属することだともいえるのです。
だからこそ、人間は所属に失敗したときに自ら命を絶つことができます。
それは生命体として生き続けていくこと、その欲求よりも、この世に所属する欲求の方が強いからだという証拠です。
所属感は、精神的な健康を保証するうえで最も大切な要素でしょう。
うつオジサンが考える「アドラー心理学」の効用とその可能性~その8~
うつオジサンは、はじめて「うつ病」になって、職場に復帰する前に「フロイトの心理学」を勉強しました。
何事にも原因があるという考え方なので、うつオジサンが「うつ病」になった原因を思い返して、あれこれ考えました。
そうすることが「うつ病の再発」を防ぐための最善の方策だと思ったのです。
その結果、自分の性格の脆さに自己嫌悪感を抱いてみたり、いたずらに犯人捜しをしてしまいました。
その結果、何度も「うつ病」をさせて、挙句の果てに、「一人暮らし」で「引きこもり」の「うつオジサン」が誕生してしまったのです。
もっと上手に生きていたならばと、今更ながらに無意味なことを考えてしまいます。
もしもそうだったならば、何度も「うつ病」を再発させることはなかったのでは…?会社を辞めることもなかったのでは…?
…などと、未だに過去に縛らているのです。
そんなうつオジサンだって、もっと「人生を豊かにしたい」と思っています。
そのためには、「うつ病」をやっつけなければなりません。
そこで、うつオジサンは「アドラー心理学」に目を付けたってわけです。
「アドラー心理学」は、うつオジサンに限らず、「遷延性うつ病」の方や「うつ病」からの回復期の方、職場に復帰して「うつ病の再発」を心配されている方々の役に立つのではないかと思っています。
そして、その可能性は大きいのではないかという考えを持ちました。
現在はまだ「アドラー心理学」を勉強中なので上手く書けませんが、今後は『うつオジサンの闘病日誌』のメニューの中に体系的にまとめていこうと考えております。
そしてそれが、ほんの少しでも「うつ病」の方々のお役に立てれば…と思う次第です。
あなたも「アドラー心理学」を学んでみたいと思いませんか?
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓